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こだわり人NEW[2017.11.15]

平面が立体に、起こし文(おこしぶみ)へのこだわり / 山岡 進(東京都・台東区)

2020年の東京オリンピック・パラリンピックを前に都心がどんどん様変わりしている。勢い、自治体や企業はその流れに乗って、“東京大変革構想、只今進行中”ということに終始していくので、“昭和の東京、いずこへ”ということかも知れない。

そんな折に、(私事ごとで恐縮だが)ある展示・イベントを推進させていただいたということでちょっと気になる礼状はがきをいただいた。というのはそのはがきの裏は昔懐かしい理髪店の姿が印刷されていたのだが、切り込みに従って指を動かしていくと、昭和の理容店が立体的に立ち上がったのだ。このような絵柄が立体的になるポップアートはクリスマスカードや飛び出す絵本などで見慣れているが、これはひと味違う。懐かしい日本の店や街並みをモチーフとする起こし文(ふみ)作家の山岡 進さんのこだわりの作品だと思うと、嬉しくなった。今や時代はメール便の世だが、やはりこのようなアナログ的なはがきの世界は心やわらぐホッとするものがある。絵柄に添えられた手書きの文字も味わいがあって、送り手の心根が優しく伝わってくるのだ。

実は起こし文という言葉は見慣れない言葉で気になっていたのだが、山岡さんの飛び出すはがきを初めて目にしたのは4年前である。このこだわり人ファイル022(インテリア家具から始まるワールド・パラダイム)でも紹介したがインテリア家具やインテリア空間を通じて豊かな暮らしを提案するWISE・WISEという企業のオーナーでありながら、こだわりのある和の工芸品などを販売する佐藤岳利さんの六本木のショップである。六本木ミッドタウンというモダンな建物の中で、こんな素朴な和の世界に触れられるなんて面白い。思わず、起こし文はがきを買い求めていたものだ。コミュニケーション手段のはがきが長期に渡って飾れるアート作品になるし、郷土の時間軸&場所軸の歴史資産にもなるのだ。

ということで、今回はこの飛び出すはがきを“起こし文はがき”と呼ぶ山岡 進さんのこだわりに着目させていただいた。

こだわり人 ファイル065

平面が立体に、起こし文(おこしぶみ)へのこだわり

山岡 進(東京都・台東区)

●生まれ育った昭和の香りを永らえたい

起こし文はがきを作られる山岡さんの制作工房はJR山手線の日暮里駅から歩いて3分の谷中にある。江戸時代から寺院や町屋が集まって栄えてきた処で、昔ながらの街並みが今もなおここかしこに残っている。だから、東京・下町の観光ルートの一つとして独特の空気感を漂わせている。

すると山岡さん、開口一番「私が生まれたのは日暮里駅の反対側の根岸で、現在は駅の反対側の谷中で工房兼自宅ということです。作るものは下町を題材にしたものが多く、『街並はがき』シリーズは昭和の下町をテーマにしています」だ。
いきなりのこの言葉に納得だ。机の上に広げられた数々のはがきを見ると、この街で生まれ育ってこられたことが如実に伝わってくる。地元に対する優しい眼。まさに地元愛だ。
しかもこの工房は谷中銀座商店街の『夕焼けだんだん』から一歩中に入った場所で、ドラマやカタログなどさまざまなシーンがクローズアップされるから、この地に住む山岡さんの心の中を勝手に思いやるばかりだ。そこに気になっていた起こし文という言葉である。HPで紹介されているが、改めてご本人の口から聞いておこうということだ。

「桑沢デザイン研究所を卒業し、デザイン事務所に勤めました。その後結婚することになり、案内状のモチーフを式場である根津神社にあった千本鳥居にして、それを立体化できるように作りました。それが好評だったので、さらにオリジナルな作品を作りたくて独立し、立体カードの作品群に「起こし文」という名をつけました。その後、昭和の街並を立体的に組み立てられる「街並はがき」が生まれてきます。」

なるほど、これは面白い。街から昭和の名残が消えていく中で、写真や絵画ではなく、立体的な形あるもので表現していく。加えて、そこに手書きのメッセージを添えていくなんて何か心揺さぶられるものがあるではないか。

●観光庁主催『魅力ある日本のおみやげコンテスト』でグランプリに

「その後、私の起こし文へのこだわりが募っていくばかり、個展を開いたり、ショップなどに置いてもらったりしたのですが、なんと、2011年に国土交通省の観光庁主催の『魅力ある日本のおみやげコンテスト』でグランプリに選定されたんです」

そして現在では起こし絵と起こし文の制作にこだわると共に、NHK文化センターの講師として、また母校の桑沢デザイン研究所の講師として若い人の育成につとめておられるんだ。
まさに人に歴史ありだ。この分野における山岡さんの情熱は絶えることなし、アナログ的な世界を形にするという想いは一段と燃え上がっているそうだ。では、山岡さんはどのような作品を作っておられるのだろうか、作品アルバムの中ら写真で紹介させていただこう。できれば、ショップなどで実物を目にしていただくと一番いいのだが。

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1. 谷中はがき その1「夕焼けだんだん」(写真上段左)
名物の猫たちを階段に遊ばせ、遠くに現在の日暮里駅を配して遠近感を。
2. 谷中はがき その2「昭和30年代の谷中銀座」(写真上段中央)
商店街入口アーチの元に当時の人々の風俗を。古写真に見られる「きず、かすれ、煙り」なども取り込んで。
3. 谷中はがき その3「初音小路」(写真上段右)
古いアーケードが残る飲屋街。昭和の味わいを出すため劇画タッチで。
4. 谷中はがき その4「古い八百屋さん」(写真下段左)
浮世絵の木版画のイメージで、人物なども猫の擬人化で表現。
5. 川越山車揃い(写真下段中央)
折って飾れるペーパークラフト。川越祭りに登場する2町会の山車を再現。
6. 昭和の街並み(写真下段右)
駅は2枚連作で絵がつながる、軽食堂や診療所などもあって並べると一つの街並みに。

「考えてみれば日本には、扇や風呂敷など広げて使い、畳んで仕舞える素晴らしい文化がたくさんありますね。1枚のはがきを受け取って、折れば風景などが立ち上がるなんて楽しいじゃないですか。日本の素朴な美を表現するために紙の持つ、簡単に折ったり曲げたりできる機能性や紙の透過性、さらには紙の空間性を生かせば、これからも伝統的な和の世界はつきることがありませんね。」と、山岡さんは熱い。

●熟練の技術から生まれる街の空気感

ところで山岡さんはこのような作品をどのように作っておられるのだろうか。その工程を簡単に紹介いただいたので、その言葉をそのまま掲載させていただこう。

「依頼をいただいた場合も、独自の作品を作る時も同じですが、まずは大段階としてラフなアイデアを描き、イメージを膨らませます(①)。この時、参考にするのは時代をよみがえらせてくれる図鑑や写真なのですが、谷中などについては、私が子供の頃から撮ってきた写真を最大限に活用しています。」

まさに、地元のことは地元の人が一番、ご存知ということだろう。

「イメージが出来ると、原寸はがき大のダミーを作る第2段階に入ります(②)。全体の構成や細かい部分を何度もチェックして、納得できるまで修正を加えます。そして、ダミーが完成すると、第3段階です。パソコンのIllustratorでラフ画を描き、再度、ダミー化して細部をチェックします。問題がなければそれを下絵にして、Photoshop+タブレットで絵柄を手書きで書いていきます(③)。私にとって、この手描きは重要で、絵画の味わいを出すために非常にこだわっています。」

やっぱりこの種の作品は一つ一つの技術の積み重ねであることに改めて納得だ。1枚のはがきが心やわらぐ人に優しい世界を生み出していくなんて、やはり山岡さんのこだわりはここにありということだろう。単なる起こし文ではない。されど起こし文ということに違いない。

●国境を越え、世界に広がるこだわりの起こし文文化

山岡さんの工房を出てしばし谷中銀座を散策したが、先ほど見せていただいた谷中はがきが次から次へと蘇ってくる。自分がいま、何か遠い時間帰りをしているようだ。『夕焼けだんだん』の階段に当たる夕陽が、その時間をいやが上にも増幅させてくるようではないか。
“ナイス、シーン!”。そばを行く外国の観光客は赤ら顔で表情も柔らかく声を弾ませている。すると、私の頭は外国の人はもとより、この国の人にも“あの賑わいの浅草散策もいいが、しっとりした谷中散策もいいでしょ”と声をかけたくなっている。しかも、帰り際に言われた山岡さんの「東京の街が、いや、日本中の街がどんどん変わってしまうでしょうから、街並はがきが更に愛されてもらえればありがたいです。」という言葉がそこに重なってくるのだから、まさに山岡パラダイムの共有だ。

そういう意味で言うと山岡さんの起こし文は、ある面では趣味的な所から出発されたかもしれないが、日本の文化や風俗の歴史資産を後世の人々に伝える歴史の生き証人的な役割を担っておられると思えてきて仕方がない。となると、そのこだわりの技術はこの街を越え、日本全国の街や村へ、さらには外国へと広がり、“自分たちの街をこのような形で残していきたい”ということになってくるのだろう。

あやかろう、明日を迎えに行った明るい夕陽に向かって合掌だ。

文 : 坂口 利彦 氏

こだわり人[2017.10.03]

お客様とスガツネをつなぐサービスサイトへのこだわり / 『スガツネット〈製品情報提供サービスサイト〉』

いま、こうしてパソコンの画面に向かっていると、パソコンの存在に改めて魅せられてしまいます。昭和50年頃からビジネスの必需品になってきたパソコンは今や一人一台の時代になっている。企業の規模や業種を問わずビジネスを制するもっとも身近な業務ツール、いや、経営ツールだということを多くの人が実感しています。しかも、そのツールをもっと多面的に、もっと効率的に使っていきたいというニーズは尽きることがなく、タブレットやスマートフォンを巻き込みながら、さらなるサクセスストーリーが期待されています。

もちろん、こんなことは先刻ご存知のことだと思いますが、企業や団体のWebサイトなどを拝見するとパソコンの便利さ、厳密に言いますと、ネットサービスをどのように日常化していくかが最大の関心事になっています。裏を返せば、企業や団体は従来的なカタログなどの紙メディアや展示会などのリアルメディアに加えて、ネットを使ったデジタルメディアをユーザーサイドに立ってさらに整備し、体系化していくかということでしょう。

スガツネ工業も御多分に漏れず、そんな観点からデジタルメディアの活用に軸足を置き、多様なお客様のネットサービスニーズにお応えさせていただいています。建築や家具の設計者はもとより施工者、工事者、さらには施主等々の日常的な業務を見れば、製品情報や企業情報を総合的かつ体系的にお届けすることが不可欠だという想いからです。

ということで、今回は手前味噌ですが、このほどお客様サイドに立って見直し、充実させていただいた『スガツネット〈製品情報提供サービスサイト〉』を紹介させてください。

こだわり人 ファイル064

お客様とスガツネをつなぐサービスサイトへのこだわり

『スガツネット〈製品情報提供サービスサイト〉』

●画面で見る、デジタルカタログ

何はともあれ、新しくなった『スガツネット〈製品情報提供サービスサイト〉』の画面をご覧ください。多彩な製品情報から企業情報、イベント情報、広報情報などを紹介するトップ画面で、カタログなどのページをめくる感覚で最先端情報が入手できます。体系的に見たり、1点1点個別に見たり、意のままに。

具体的な機能についてはこの後で紹介させていただきますが、まずは新しくなった『スガツネット〈製品情報提供サービスサイト〉』提供の趣旨を紹介しておきましょう。

このサイトの最も大きな特徴は“お客様オリエンテッド”という観点から、私どもスガツネ工業の家具金物や建築金物に関する情報を総合的にかつ体系的にすばやくお届けすることです。特に昨今はお客様の製品ニーズが多用で、内容も広範多岐で急ぎを要するものが多いので、私どもも正確でクイックな情報提供をしていくことが大事です。また、多様な設計業務に欠かせない商品のCAD図面や取付け方法などの詳細解説も不可欠ですし、納入事例なども写真でじっくり見ていただきたいということです。

そこで、その具体的なサービスサイトの立ち上げについては主に二つの点に優位性を持たせました。
一つは多様な商品検索の容易性であり、もう一つは商品決定の効率性です。まさにデジタルカタログならではの安心できる機能によって、設計業務などに伴う商品検索や施工工事などの見える化を実現したわけです。また、見える化によって商品の発注業務などもより優位に展開できるようにしたのです。

●即戦力機能によって、便利さを徹底追求

では、このスガツネットはどのように使われるのでしょうか。すでに多くのお客様にご利用いただき共感をいただいていますが、その内容や機能を実際の画面などを見ながら紹介していきましょう。

1. 商品の素早い検索

建築金物や家具金物などスガツネ工業の多様な商品を、画面を通して素早く閲覧できます。また、多様な商品の中からお目当ての商品情報も素早く入手できます。

(検索詳細表示 / キーワード検索 / カテゴリ検索など)

2. 対応商品の素早い確認

検索した商品についての詳細を、画面を見ながらじっくり確認できます。商品比較なども容易ですし、情報を関係者に瞬時に配信することもできます。

(商品詳細 / 事例動画 / スペック / 価格 / 設置シミュレーションなど)

3. 対応商品の素早い決定

設計支援機能としてCAD図面情報や取付・取扱説明書が即時入手できますので、設計業務が効率化できます。また、商品選定ツール『さスガくん』によって商品選定の容易化がはかれます。

(CAD表示 / 取付・取扱説明書 / 施工・工事方法 / 組立方法 / 選定ツール「さスガくん」など)

CADデータの取得には無料のWeb会員登録が必要です。

4. 総合的なバックアップ

多様な設計業務を効率化するために、スガツネットのカタログ閲覧機能“デジタルブック版カタログ”では、デスクワークなどが優位に展開できる便利機能を数多く装備しています。

(印刷 / PDFダウンロード / 切抜き / コピー / ペン / 付箋 / お気に入り追加など)

以上、スガツネットの多様な機能を紹介しましたが、特に販売店の皆さま()には『発注・管理システム』を設けていますので、画面を通して商品確認や発注が素早くできるようにしています。

現在、ご利用にあたってはスガツネ工業による利用調査・専用アカウント発行が必要となります。

●至れり尽くせり、設計業務の効率化支援

では、このスガツネットによって設計業務はどのような変革を見せるのでしょうか。また、経営環境にどのような活力を持たらすのでしょうか。これまでの内容で、すでにその便利さや効用イメージを描かれている方もおられる思いますが、その内容を表記しておきましょう。

  • 情報の一元化が進み、
    デスクワークが効率的になる
  • 効率的になったデスクワークによって、
    経営判断や意思決定が明確になる
  • 納期やコスト意識が進み、
    社内のモチベーションがアップする
  • 社内外のネットワーク化が進み、
    情報の共通化が進む

まさに、私どもが意図した効用が着実に根づいているのではないでしょうか。その効用について、世界を代表するスペースデザイナーの小坂竜さん(乃村工藝社商環事業部「A.N.D」クリエィテブディレクター)は次のように言われるので、その内容を紹介しておきましょう。

●今日も、明日も、次代に向けたホットライン

「私どもの世界は秒進分後で進む時代です。そのため、メーカーから提供される商品に常の目を光らせ、いつでも入手できる環境が重要です。また、人手不足などによって図面業務やデスクワークの効率化が一段と問われてきますので、その改善とそこから生まれた時間をよりクリエイティブな方向に向けていくことが重要です。そういう意味で、スガツネのサービスサイトは即戦力の“パートナ-サイト”というべきですね。私どもとスガツネ工業を結ぶホットラインですね」

設計図面に明け暮れる小坂竜さんのありがたい言葉だ。建築金物や家具金物を造るメーカーとして、スガツネ工業もまた、図面の作成や設計業務の重要性を身体を持って体感していますので、まさに身から出たパートナ-です。これからも皆様方の声に耳を傾けながらより使いでのあるサイト運営に努めてまいりますので、どんどん声を聞かせてください。

【こだわり人ファイル006時間と空間の紡ぎあい。】にて、小坂竜氏をご紹介させて頂いております。是非こちらもご一読ください。

そういえば、CADを使った図面作成に長けた建築家がこんな提言をされていたので添付させていただきます。

「考えてみれば、設計段階で出来上がりがイメージできる図面作りが非常に大事です。その図面について、人手不足などの問題や技術の進歩によって設計部門のAI化はどんどん進むでしょう。設計のAI時代は時間の問題です。そういう意味で、このほどのスガツネ工業の情報提供サービスサイトには大いに期待したいですね。AIなどへの前哨戦ですね」

このようなお言葉を頂くと、私どもスガツネ工業としても、もっともっとお客様サイドに立って、目の前のパソコンをより効率的に使いこなせるようなサービスを皆様にご提供していく必要があると実感させられます。

これからもスガツネットはますます皆様にとって使いやすいサービスサイトに変化していきます。今後の展開を是非ご期待ください。

文 : 坂口 利彦 氏

こだわり人[2017.09.06]

アミューズメントロボットへのこだわり / 秋山岑生(東京都・世田谷区)

 日本のロボット産業の行き先について、さまざまな論評が飛びかっている。中国メディアの工控網は、日本のロボット技術はあらゆる面で世界をリードするロボットの革新基地になることを示唆している。言わずもがなで、我が国のロボット技術に対する期待は大きく、高齢化や少子化をはじめとする労働力の減少といった面からも、さらなる期待が集まっている。

 そのために我が国政府も、ロボット大国を目指してさまざまな施策を掲げているが、先頃、世田谷区のこの分野に明るい方がちょっと気になるメール便を送ってくださった。読むと"ロボット産業へのこだわりは不可欠で、産業ロボットやサイエンスロボットが光を浴びているが、博物館やショールームや商業施設などでのコミュニケーションメディアとしてアミューズメントロボットやエンターテイメントロボットにもっと着目して欲しいね。世田谷区にはこの分野のこだわり人がおられるので、凄いよ。秋山岑生(みねお)さんだ"と記されていたのだ。

 お名前は耳にしたことがある。昭和40年代の初めに、動く動物模型を博物館や商業施設のディスプレイ用に作りだされた方で、今日のアミューズメントロボット文化やエンターテイメントロボット文化の第一人者だ。今や年齢も80才を越えておられるが、ロボットへのこだわりは絶えることなく、"自ら描き、自ら創る"に徹しておられる。そんな大御所をボクのような若造が紹介するなんて何と畏れ多いことか だが、ボクの好奇心はたちまちのうちにアポイントをとる電話に向かっていた。

 ということで、今回は秋山さんのアミューズメントロボットなどロボット人生に着目させていただいた。

こだわり人 ファイル063

アミューズメントロボットへのこだわり

秋山岑生(東京都・世田谷区)

●夢みるロボット少年の心

 京王線の仙川駅。駅から徒歩で20分の所に『工場?研究所?』とちょっと秘密めいた館がある。秋山さんがいまも、夢を描き、夢を熟成し、夢を形にする創造拠点だ。入口に『マイテク』という小さなプレートがあるだけだから、その中への好奇心はいやが上にも高まるというものだ。

 案の定だ。中に入ると、もうそこは今にも鉄腕アトムやロボコンやダースベイダーが飛び出してきそうな雰囲気だ。愛嬌のある動物園の人気者や、もう何度も目にしてきた恐竜や表情豊かなだるまが話しかけてくるようではないか、制作中のロボットのサンプルや設計図面を見ると、ついついこちらもさまざまな想像力を駆り立てている。秋山さんはその中央に座っておられて、いい笑顔だ。とても80才越えなんて、ウソ、ウソだ。表情も動作も夢見る少年だ。

「私の今日に至る足取りを話させてください。その足取りに私のこだわりが集約されているからです。
 私は福島県の会津で生まれました。いまの子供のように簡単におもちゃを買ってもらえる時代ではありません、とにかく自分で作るしかないんです。ですから、物心がつくようになりますと、自分で描いて、自分で創っていましたね。それがいまも続いているんですね。ですから学校も、地元の福島大学の美術科に進み、卒業すると、そのまま福島大学の助手になっていました。
 ところが一年後です。知人を通じて、東京のデザイン事務所に誘われたので上京し、グラフィックデザインなどの仕事をしていました。でも、その事務所もいま一つ自分の想いと違うので、2年後には同郷の友人と『東京デザインプロダクション』というデザイン事務所を立ち上げたんです。26才の時です。
 それから5年後、私が31才のときです。ディスプレイ用に動く動物模型を作ったんですが、それがロボットの研究団体やマスコミから注目されるようになったので、これは面白い。やりがいがあるということですよ。33才の時に、動く動物模型を中心にした事業を展開しようということで、『東京デザイン工芸』を立ち上げたんです。それからは動くロボットの開発という毎日ですが、48才の時にあの『キティちゃん』でおなじみのサンリオの出資を得て『ココロ』を立ち上げ 、専務として開発部門を担うようになったのです」

●動くロボットを創ることを目的に起業

 秋山さんはその後、51才の時に『ココロ』の代表取締役になられるが、その間に我が国はもとよりロボット先進国アメリカなどから"日本に秋山あり"という名を頂戴されているのだ。ボク自身、街やデパートやレジャー施設で秋山さんの創る独創的で親しみやすいキャラクターを今も鮮明に覚えているので、年代を追ってその開発史を紹介しておこう。

1969年(昭和44年)
京王線新宿駅の改札上部に動くキリンを設置
平塚市の風物詩である七夕祭りの際に商店街アーケードに幻のネッシーを再現
1982年(昭和57年)
三越デパートの恐竜展の開催
1983年(昭和58年)
三越デパートのロボット展の開催
恐竜ロボットをアメリカ・カンサスシテイの『IAAPA]に展示
宝塚ファミリーランド(童話館)に人体型ロボット8体を設置

 まさに、アミューズメントロボットやエンターテイメントロボットの歴史に残るクリエイティブだ。

「新宿駅のキリンは多摩動物園のオープン15周年の記念事業でしたが、駅の行き交う通路の上に巨大な動くキリンで、腹ばいになって左右に首を振りながら草を食べるのですから、キリンの形態、機構、材料の調達、設置工事。その達成感がその後の私の原点になりましたよ」

 その後1987年〈昭和62年〉、51才の時に『ココロ』の代表取締役に付き、1987年〈昭和62年〉にはアメリカ・ロサンゼルスに『ココロUSA』を設立されている。この偉業を当時のマスコミも華やかに取り上げ、日本のロボット技術が海を渡ると拍手を送ったものだ。そして、アメリカの博物館を中心に8セット、130体のライフサイズ(実物大)の恐竜を納品し、その後のビッグプロジェクトである西武ユネスコ村『大恐竜探検館』の総指揮をとられるのである。やはり当時のマスコミはこの大事業についてよく取り上げていたが、1993年〈平成5年〉完成された時に報じられた総工費100億円、ライフサイズ恐竜250体。それをボートライドに乗って探検するというのだから、そのスケールの大きさは推してしかるべきだろう。まさに今日の恐竜施設の拡がりは秋山さんから始まっていったのだ。

●御年、80才を越えてもロボットへの夢は尽きない

秋山氏の『自ら描き、自ら創るロボット』への夢は尽きることがない。

その後、1994年(平成6年)。58才の時に『ココロ』を退任されたのだが、3か月後にはアミューズメントロボットやパーソナルロボットを開発・製造する『ロボテックス』の設立に参加し、代表取締役を務められる。そして3年後には"感性のあるロボットの開発・製造"を目的に、現在の『マイテク』を立ち上げられたのだ。その後も自ら描き、自ら創るロボットへの夢は尽きることがなく、現在も続いていると言われるので、その後の足取りを付け加えておこう。

1998年(平成10年)
日本の伝統的なからくり人形の自動化に成功
2001年(平成13年)
横浜トリエンナーレ展で巨大バルーン『イナゴ』設置
2002年(平成14年)
シンガポールサイエンスセンターに巨大カメレオンロボット設置
2004年(平成16年)
ロボット劇場『ノームの森」完成
2006年(平成18年)
メカロボ漫才『ITクッキング』制作
2007年(平成19年)
メカロボ漫才『地球大好き』制作
2008年(平成19年)
USAジャクソンビル博物館に『心臓模型』納品
2010年(平成22年)
産業ロボット『マスク耳紐自動溶着機)』完成
2011年(平成23年)
所沢航空発祥記念館の展示造作物の制作

 秋山さんのロボットへのこだわりは尽きない。改めて魅せられる。

「こうして、私の足取りを紹介していますと、私の自ら描き自ら創る精神は終わりそうじゃありませんね。あの『ココロ』が掲げた創業精神 "ロボットに心を吹き込み、こころを持ったロボットを創っていきたい想い。ロボットが人を楽しませて、人とのコミュニケーションで心を通わせる。人と共存できるロボットを創る" がいまなお受け継がれているのは本当に嬉しいですね。キーワードは『単純化、先進性、新規性、意外性』の4つでしたからね。
 考えてみれば、今も当時と全く変わりませんね。あの時、私たちの事業は『動刻』と呼んでいました。動く彫刻ということで、その存在を広く認知してほしかったんです。ロボットを通じてお客様の心を刺激し、心を通い合わせるということですよ。一つ一つが手づくり。夢を形にする『動刻』を創るプロセスは、昔も今も基本は次の通りです」




  1. お客様の希望を聞き、相応しい満足企画を進言
  2. お客差の要望に合わせてオリジナリティのある動刻や企画を提案
  3. 企画提案に賛同いただくと、具体的な設計図面を作成し、制作の工事日程や金額提示
  4. 了承いただくと、外装、形態、機構など仕上がりを前提に工場制作に着手
  5. 特に動刻は外見、見た目の印象と動くメカニズム、プログラムが重要なので、
    さまざまなシミュレーションをして完成度をアップ
  6. 完成した後の品質管理にも万全を喫し、合格を確認したうえで出荷
  7. 現場の設置工事、駆動点検、お客様の了承
  8. 保守、メンテナンスなど維持管理への対応

 そのプロセスの重要性は想像して余りある。ここ事業は理屈ではことが進まないことがあまりにも多いそうだ。人の心をとらえ、それをアイデアに変え、デザインする。確かに技術だけで解決するものではない。作ったものを見た人が目を輝かせているかいないかがすべての出発点だそうだ。

●ロボットを通じて心と心を結ぶ

 今回のこだわり人は秋山さんの仕事の足取りに傾注したかもしれない。80才を越えた秋山さんのこだわりはもうそこに集約されているからだ。最後にお聞きした。現在取り組んでいるロボットはと、するとこうだ。

「現在は2020年の東京オリンピックに照準を合わせて、日本の伝統的な心と技術心を世界中の人に共感していただきたいので動くだるまをモチーフにしたロボットに挑戦しています。題して"応援だるま"です。だるまが持っている日本的な祈り、応援する心を動く手や目にですよ。口も世界中の言葉を発しますからね」

 秋山さんのロボットへのこだわりは尽きない。

 そういえば、『夢を追う経営者たち―21世紀を創る12の男』(出版社:ティビーエス・ブリタニカ)に、"Jリーグを成功させた川渕三郎"氏、"「地球にやさしい家」創造への道 OMソーラー協会専務理事 小池一三"氏らと並んで秋山さんが、"世界を制覇した「動く恐竜の動刻」創造への歩み 秋山岑生"とクローズアップされている。

文 : 坂口 利彦 氏

こだわり人[2017.07.28]

伝統的なものづくり精神を次世への架け橋に / 指物益田(東京・墨田区)

 いまから27年前、墨田区商工政策課産業経済課が出版した『すみだの産業を世界につなぐ―デザインガイド』という本に惹き付けられた。いまでも時々、ページをめくってみるが、地方自治体でデザインを区の活力源にしていこうというコンセプトが非常に新鮮に思えたのである。冒頭で、当時の奥山区長が"デザインがものづくり、まちづくり、人づくりに活気とうるおいを与えるので、デザイン振興に力を注いでいきたい"などと述べられているが、現在の墨田区の顔とも言うべき東京スカイツリーなどを見ると、まさにあの想いが開花し、次代へのエンジンここにありということかも知れない。

 そんなデザインに区の未来を夢みた墨田区の職員の方から、ちょっと気になるメールが送られてきた。“墨田区は東京の下町で、街を歩けばどこからともなくものづくりの音が聞こえてくる街だが、区の南の端の立川に区内唯一の江戸指物(さしもの)師からスタートして現在は、木工家具などの制作に携わる益田大祐さんという方がおられるから、話を聞かれたら”と。

 名前は伝統的な指物を作る若きホープということで、知っていた。年々、数少なくなっていく指物師の世界にあって、実用性、装飾性。毎日の生活に彩を添える指物に独特の世界観をお持ちなのだ。これはビッグチャンスだ。そのこだわりを目の当たりにしなければだ。

 ということで、今回は伝統的な指物という世界に止まらず、ものづくりの街、墨田区のDNAをしかと受け止めた益田大祐さんのこだわりに着目させていただいた。

こだわり人 ファイル062

伝統的なものづくり精神を次世への架け橋に

江戸風鈴本舗(東京・江戸川区)

●富士三十六景に描かれた本所立川

 戦後になって、家具業界も機械化が進み、洋家具が主流になってきた。それでも日本の伝統的な工芸品として受け継がれてきた指物を好む方は多いという。特に近年は若い世代の人が指物に魅せられて、マンションなどのモダンな世界に住んでいてもリビングや寝室に座卓や飾り棚などの指物を置く方も多いそうだ。

 嬉しいね。やっぱりこの気分は。弾む気持ちを車窓に映して都営新宿線で菊川へ。葛飾北斎の『富岳三十景』に描かれた堅川も往時の面影はまったくなくなってしまったが、益田さんの工房の前に立つと、早くも子供の頃によく耳にした木を削る鉋(かんな)の音だ。リズミカルな響きに、HPで拝見していた益田さんの穏やかな笑顔が重なってくる。

 そして、入口のガラス戸を開けると、もうそこは完全に益田ワールドだ。行儀のいい美しい木目に削りたてのやさしい木の香り。その周りには手入れの行き届いた鉋(かんな)や鋸(のこぎり)。すべてが益田さんのそばで居心地よさそうだ。まさにその姿、主を囲んで、"さあ、おいで"と、満を持しているようではないか。40才少々の若き指物師に多くの眼が注がれていることに、納得だ。

 指物師と言えば、ともすれば年期の入った労連の職人を思わせるが、まったくの思い違いだ。益田さんはその風貌からして木工家具の若き工業デザイナー、いや、インテリアアーティストという雰囲気をお持ちなのだ。

●伝統的な巧みの技を次世代につなぐ。

 すると益田さん、こちらの思いを察するように、こうだ。

「確かに私は、学生時代は工業デザインを専攻していましたので、そう見えるんですかね。私は高専を卒業して、最初は特注家具製造会社に就職しました。
 ところが、入った家具会社は機械が優先で、この形は機械では作れないからということで対応してもらえない。また、手のこんだものだと60才過ぎの職人さん頼みで、手工具の技術が失われつつありました。
 自分のデザインを表現することの難しさを抱える中、足を運んだ江戸指物組合の展示会で指物の技術に圧倒され、親方である江戸指物師の渡邊のもとを訪れました。初めて親方と話した時には給料の事や仕事をおぼえる事の大変さなどを説明され、「ちゃんと考えてからまた来なさい」と、出直すことになりました。
 すると、その数日後には仕事を辞め、親方の所に足を運んでいましたね。ただただ、江戸指物に一目惚れしてしまったのでしょう。伝統的なものを継いでいこうという意識はあまりなかったですね。ひたすら技術を身に着けたいの一心でした。
 そうした弟子時代の中で、技術と共に江戸文化や下町文化がしだいに身に付くようなり、30才の時に独立し、自分の工房を埼玉に構えました。そして2年後です。墨田区の先輩の職人さんが「墨田区には指物師がいないので来いよ」ということで、この立川で工房を立ち上げたのです」

 まさに、人に歴史ありだ。工業デザイナーを目指した後に指物師として腕を磨き、ここ立川に工房を構えてからは、2009年に『墨田区伝統工芸保存会』に入会、2011年に『すみだブランド』認証、2013年に職人グループ『もの語り』発足、2014年に『すみだマイスター』に認証されておられる。
そして、2015年にはあの歌舞伎の名門『中村芝翫丈襲名の楽屋鏡台』を制作されているし、2016年には『LEXUS NEW TAKUMI PROJECT』の東京の匠に選出されている。まさに、一途な江戸職人の心意気を永らえた御仁、ここにありということだろう。

●指物文化を生活文化につなげていきたい

「私は家業としてではなく外から弟子入りしたので、伝統工芸としての自分の仕事を意識したのは独立してからの事でした。まだまだわからない事ばかりですが、生活と文化のつながりを大切にしてもの作りをしていきたいと思います。生活スタイルが変化していく中で、ただ昔の物ばかりを作っていてはいけない。しかし、流行に流されてはいけない。 何をまもり、何を変えていくかが大切だと思います。重要なのは作品そのものではなく、それを作り出す職人の技術や考え方であると考えています」

 指物というと確かに、この国では日本の伝統的な木工品というイメージがあるが益田さんは、そこに止まらず、時代の新しい空気にも積極的にチャレンジしていこうとされているのだ。

 益田さんの工房には墨田区が認定する「小さな博物館」として隣接する「指物博物館」がある。電話での要予約制だが、小さいながらも作品はもちろん道具や資料等も展示されている。

 そこに貼られた指物の製造工程表が目に飛び込んできたので、どのように作られているのか、その流れを記した看板がかかっていたので、それをそのまま添付させていただこう。

表:指物の製造工程表
 1. 材料の木取り
しっかりと乾燥させた木材を選ぶ。製作に必要な量の板材の取り方を決定します。
 2. はぎあわせ
必要に応じて板と板を接着し、幅の広い板材にします。
 3. 削り
木取った板を正確な厚みで正しい寸法に鉋をかけて削ります。
 4. 仕口、接手
板と板を組み合わせ、その組み合わせ方を仕口といいます。さまざまな仕口や継手を必要な場所に施すことにより、堅牢で美しい指物が出来あがります。
 5. 彫り、くり
小刀やノミを使い、板に曲線を取り入れます。模様を入れた「透かし」、柱の脚の下から反らせる「テリ」、その他、框戸や引き出しに化粧する「ヒモ取り」「額上げ」など様々な技法があります。
 6. 組立
仮組立のことで、接着剤などを入れる前に、ホゾの硬さや水平・直角などを調整します。
 7. 仕上げ削り
いろいろな面取り・模様を施します。「銀杏面」「切り面」など様々な面取りがあります。
 8. 研磨
指物は塗装に漆を使うことが多く、その拭漆の仕上がりを最高にするためとても重要な作業です。鉋、木賊(とくさ)、椋(むく)の葉が順に使われます
 9. 塗り
拭漆などで塗装を施します。
10. 仕上げ
引手や蝶番等をつけて、引き出し、引き戸を微調整して完成させます。
●モノづくりの土壌が根をはっている

 取材して改めて痛感したのは、指物で作られる物は、多種多様にあることだ。

「ちゃぶ台・鏡台から茶道具・仏具など一度しか作った事のない物や、まだ作った事のない物もたくさんあります。また、 木で作れる物であれば何でも作る事ができます。まだまだ勉強ばかりの毎日です。
伝統的なものから現代の生活スタイルの中でも使いやすいものの提案など使う人に寄り添うものづくりをこれからも目指していきます。お客様に木のすばらしさ、伝統技術を伝えられる事ができれば幸いです。」

「最後に墨田区の産業の伝統は、小さなものづくり職人がお互いの技術を分け合い、連携しあい、厳しく評価しあって製品を作り上げて行く『ものづくりネットワークの集合』なのだと感じた。これからもその伝統を未来に繋げ、都市生活者を彩るさまざまな感性豊かな製品を生み出す力を身近にかんじてつけていきたい。そういう意味で、工房ネットワークといった存在が都市づくりの一翼を担っていくことを夢みてやまない」

文 : 坂口 利彦 氏

こだわり人[2017.06.19]

都内唯一、江戸風鈴への老舗のこだわり / 江戸風鈴本舗(東京・江戸川区)

 伝統の継承とか伝統の一戦とか、伝統という言葉についつい心が動く。綿々と生き永らえていく人間の生き様というのだろうか。過去から現代、そして未来に続く時の刻みに何か勝手なイメージが想い膨らんでくるのである。これから先も、その想いは変わることはないが、このほどデパートの高島屋から送られてきた『日本の伝統展』開催という案内がまたまた我が心を動かし、足を自然と会場に向かわせた。

 というのは、この展示会はもう38回というまさに伝統のある催しで、日本全国の伝統的な技術が目の当たりにできるからである。今回も57件の伝統の技が一堂に集結されたが、そこにはやっぱり“この道、一筋”という真摯な想いがあって、我が心をいやが上にも揺さぶり続けるのである。中でもその揺さぶりが大きかったのは江戸切子、江戸木彫、江戸べっ甲、江戸風鈴といった江戸という言葉を背負った伝統文化である。この目まぐるしく移り変わる東京という大都会にあって、江戸の伝統を永らえているなんて、やっぱり敬意を払わざるを得ないということである。

 今回のこだわり人は、その中で前々から気になっていた江戸風鈴の製造元、篠原風鈴本舗に着目させていただいた。現在、東京で風鈴を製造しているのはここ篠原風鈴本舗と親類筋の篠原まるよし風鈴だけだが、風鈴一筋に102年、そのこだわりぶりを紹介させていただこう。

こだわり人 ファイル061

都内唯一、江戸風鈴への老舗のこだわり

江戸風鈴本舗(東京・江戸川区)

●伝統の技にこだわる若い力

 高島屋日本橋の『日本の伝統展』はまさに現代の暮らしに生きる伝統技術へのこだわり、ここにありだ。多くの来場者の賑わいにこの国の底力を見たようで、嬉しくなった。しかも、その喜びに追い打ちをかけたのが篠原風鈴本舗の篠原由香利さんだ。ベテランの職人さんや技術者が多い中、何と36才の由香利さんが篠原風鈴本舗の創業者、篠原儀治さんの孫娘として江戸風鈴の製造に勤しんでおられるのだ。

 その由香利さんのことは江戸川区のHPなどでも紹介されているので前々から着目していたが、後日、作業現場での再開を約束して都営新宿線の瑞江駅にある自宅兼作業場に向かったのである。

 正直、その趣きのある佇まいに好奇心は全開だ。いただいた小紙によると、“風情、風雅風趣という言葉がある通り、世界広しといえども“風”の愛でる心を持つのは我々日本人だけでしょう。中でも、風を音に変えて、その風情を楽しむ風鈴は、まさに日本人ならではの楽しみにと言えるでしょう” と記されているが、まさに、風鈴のチリン、チリンという音色はどこか懐かしく、涼しげな気分にしてくれる。ある学者先生が“風鈴は江戸庶民が生んだエコ生活の典型ですよ”と言っておられたが、納得だ。

「江戸風鈴は中国から渡ってきた風鐸がルーツです。竹林に下げて風の向きを確認したり、音色で物事の善し悪しを占うために使われていたのです。その後、風鐸として日本に仏教と共に伝えられてきたのですが、いまでもお寺の四隅などにかかっているでしょう。魔よけとして使われてきたんです。ところが、それが江戸中期になるとガラスなどで作られるようになり、昭和になると一般庶民も軒下などに下げるようになったんです。
その時、祖父の父である又平がガラス風鈴を積極的に作るようになり、後を継いだ儀治がその風鈴を江戸風鈴と名付けたのです。ですから、江戸風鈴というのは私どものブランド名なんです」

左から、江戸風鈴創業の儀治さん、現在代表の恵美さん、孫娘の由香利さん。

●魅力は、アート感覚の工芸品

 なるほど、風鈴にも人間的な物語があるということだ。その後、由香利さんの父が儀治さんと江戸風鈴を作っていたのだが、その父が3年前に急死されたので、この火を消してはいけないということで、奥さんの恵美さんが代表に、孫の由香利さんが儀治さんの教えを乞い儀治さんの教えを乞い、江戸風鈴を作ってこられたのだ。

 江戸風鈴に歴史あり。いや人に歴史ありだ。「風鈴という小さな世界ですが、夏の風物詩として、永らえていきたいですね」と、由香利さんは江戸風鈴への想いは熱い。いつでも儀治さんの「日本の風情を感じる仕事に従事してきて本当によかった。風が音になって語りかけてくるんですから、その声を聞いただけで他の人にも聞いてもらいたくなるんですよ」の言葉が頭から離れないそうである。

「でも、単に伝統に終始しているだけではありません。流行やトレンドを常に考え、江戸風鈴の世界にも新しい風を吹き込みたい想いがありますからね」

 わかる気がする。江戸の職人さんたちも時代の波に流されることなく、若い感性で洒脱や粋と言われる世界を追いかけていたものだ。おそらく由香利さんもこれまでの常識を破る風鈴を数多く作っておられる。付け加えるならば、その風鈴が東京都の伝統的工芸品チャレンジ大賞に輝いていると言われるから、まさに若い力が江戸風鈴の世界に新しい風を吹き込んでいるということだろう。

 ところで、江戸風鈴は形と音と絵柄が重要なアイテムだそうだ。形は宙吹きで作り、絵付けを内側からするのが大きな特徴である。だから、作る人の手がすべてで、形も絵柄も同じものがないそうだ。

「型に入れて吹くと同じものが作れますが、江戸風鈴は宙吹きなので一個一個吹く人の感覚だけです。また、絵付けも一個一個内側からやりますので絵付けする人の個性が出ます。裏を返すと、この手づくり感が江戸風鈴の魅力なんです。ある面でアート感覚にとんだ工芸品なんですよ。昨今は外国製の風鈴が売られていますが、江戸風鈴と違って型吹きで絵付けも外側にプリント加工されているだけなので、少し趣きがないかなぁ。
私たちは日本の伝統を守っていきたいんです。また、音について言えば、取り口がギザギザであることが重要です。ギザギザがあの江戸風鈴独特の音色を出しているからです」

●昔も今も江戸風鈴へのこだわり、ここにあり

 では、そのような魅力一杯の江戸風鈴はどのように作られているのだろうか。その工程を紹介していただこう。

「簡単に紹介しますと、江戸風鈴はソーダガラスを使い、よく洗浄し、割いて窯の中で溶かします。溶けたガラスは二人一組で、一人は鳴り口と言われる小さい玉、もう一人が風鈴の本体になる大きな球を口で吹いて膨らませます。
大きな球ができると、次は絵付けです。江戸風鈴は先ほども言いましたように裏から塗ります。この時、作業効率を考え同じ絵柄のものをまとめて、1色ずつ塗っていきます。
大事なのは色の乾き具合と、裏から色を塗るので反転した状態で仕上げていくということです。特に文字については神経を使いますね。」

「余談ですが、江戸風鈴は赤を基調とするものが多いですね。と言いますのは、風鈴は音で魔除けという意味がありますので、魔除けとして使用されていた赤色を使ったものが多くなったんですね。また、野菜のカブと千両の小判が描かれたものがあります。カブは花札で、おいちょかぶで勝つというところから、勝負ごとに勝つという意味があったんですね。江戸職人の粋さですね」

 ところが、現代は見た目が涼しげな金魚や花火が人気だそうだ。暑苦しい赤よりも涼しげな絵柄が好まれる時代ということだろう。また、形について言えば従来は直径8cm、高さ7cmの小丸型と色数が豊富な特選小丸型が基本になっていたが、現在はさまざまなバリエーションのものが作られているそうだ。例えば、江戸切子とコラボした江戸風鈴や人気のキャラクターを描いたものが登場しているのである。

 そしてさらに、江戸川区では行政が江戸風鈴に力を入れて美術学校や企業との連携はもとより、産学公連携による江戸風鈴事業の推進などを積極的に進めているそうだ。

「ありがたいですね。江戸狂歌にこんなのがありますからね。“売り声もなくて 買い手の数あるは 音に知らるる 風鈴の徳”なんてね。伝統を守っていきたいですね」

●老舗というのは、常に先端を走ること

 一口に風鈴といっても、その存在に改めて教えられる。ある面では季節と共に生きる日本文化の一つの象徴だ。かっては風鈴と言えば、軒下に吊り下げてというのが多かったが、マンションなどの高層住宅によって軒下のない家が増えている。だが、風鈴生活を楽しみたいというニーズも高く、スタンドタイプの風鈴も誕生しているそうである。

 時代がどんどん進んでも、あの涼しげな音色に依然と引き寄せられるということだろう。江戸風鈴の生みの親の儀治さんは江戸風鈴のこれからについて、由香利さんに熱く語っておられるのでその言葉を最後に紹介しておこう。

「人間は生まれも育ちも十人十色、生活環境も十人十色。そのため音に対する感覚も人それぞれですから、風鈴も一個一個、音を変えていきたいですね。例えば、ドレミの音を作り、音階が出来るようにして、いくつか並べると、一つのメロデイーが流れるなんてね。
老舗というのは、常に先端を走っていなければダメですね。また、職人は好奇心の塊であってほしいですね」

 今年は、一味違う風鈴生活が楽しめそうだ。

《ワンポイント》
篠原儀治さんのプロフイ―ル
昭和57年
江戸川区無形文化財認定
昭和58年
江戸川区伝統工芸会・会長
昭和59年
NKE朝の連続テレビドラマ「ロマンス」でガラス工芸の指導
昭和60年
大東京祭功績賞を受賞
平成元年
東京都知事賞 優秀技能賞を受賞
平成4年
江戸川区産業賞(優良事業)を受賞
平成5年
国際芸術文化賞を受賞
平成9年
日本オーデイオ協会「音の匠」に認定
平成16年
東京都知事より名誉都民に認定 江戸川区文化賞を受賞
平成18年
文部科学大臣賞を受賞

文 : 坂口 利彦 氏

こだわり人[2017.05.22]

廃校で、モノづくりデザインに挑むこだわり /木下 悟 氏(東京・世田谷区)

 ものづくりへのこだわり人を巡ってあの街、この街。こだわり人の真摯な姿勢と粘り腰には教えられることばかりだ。この国の底力に揺るぎなし。生意気だが、これからも永らえていかれることだと思うと、ついつい“よし、よし”なんて笑顔がこぼれてくる。

 そんな折に、送られてきた世田谷区の『ものづくり学校』の小冊子。世田谷区の地域産業や商工業の支援事業として、2004年の3月から開校されていたことは知ってはいたが、冊子のページを繰ると、改めて覗き見したくなるというものだ。というのは、この学校は廃校になった中学校の校舎を再利用するという『廃校跡地再生プロジェクト』の一環で、デザインを通じて"学び、体験し、働く"というものづくり精神の高揚を目的とするというからである。在りし日の教室をそのまま使った空間にデザイン、建築、アート、ファッション、食などに従事するクリエーターたちが入居し(約40の企業や個人事業主)、この学校の基本コンセプトである『3Rする』を共有しながら、リサイクル、リユース、リセットを主眼にそれぞれのクリエイティブ活動をするなんて実に理に適っているではないか。

 聞けば、デザインを地域活性化に活かすというプロジェクトは全国各地の自治体で推進されているが、この『世田谷ものづくり学校』はもう10数年以上にもなる先輩格だ。よしここは、ここの入居者で、前々から気になっていたこだわりのインテリアデザイナー、木下 悟さんを訪ねよう、だ。

 ということで今回は、この学校で『Notcho's Workshop』の看板を掲げた木下 悟さんに着目させていただいた。

こだわり人 ファイル060

廃校で、モノづくりデザインに挑むこだわり

木下 悟 氏(東京・世田谷区)

●昔懐かしい校舎が職場に

 相変わらずの交通量が多く、喧騒とした首都高速3号線だ。東急田園都市線の三軒茶屋駅から少し渋谷よりの横道を入ると、何度も写真で見ていた『世田谷ものづくり学校』だ。先ほどまでの喧騒とした音が一気に消え、たちまちの内に昔懐かしき校舎が現れ、我が学生時代に引き戻してくれる。

 見ると、校舎入口の上部に横文字で『IKEJIRI INSTITUTE OF DESIGN』とあるから、あれあれだ。インスティテュートなんて研究所のことで、そんな雰囲気はまったくない。やっぱり親しみやすく学校の方があっている。すると、ボクはすっかり中学生気分で、廊下沿いの教室に飛び込みたくなっている。しかも、各教室の入り口脇にはそれぞれのクリエータの仕事ぶりなどが表示されているので、ついつい立ち止まって見入ってしまうというありさまだ。

 教室ナンバー117。ドアを開けると、穏やかで、少年の面影を随所に残した木下さんだ。目が明るく輝いている。おそらく学校というこの環境がなせるわざなんだろうなんて、勝手な想いを巡らしながら、やっぱり気になっていたここに入居した理由を最初に伺ってみた。

「ここを仕事場に選んだ理由ですか?やっぱり環境ですね。学校というあの独特の環境なんて、最高のロケーションですよ。いつも少年の気分で仕事ができるんですからね。また、テナントビルなど違ってドアを開けると、同じような志を持ったクリエータがいるんですよ。同級生気分ですよ」

 わかる気がする。そこに持ってきて、校舎の1階から3階にはギャラリーやショールームや美術館が並んでいるし、ミーティングルームやカフェまであるのだからうらやましい限りだ。廃校になった学校の跡地をこのような生命感あふれる空間にしたことに大拍手というものだ。

「ありがたいのは、多目的ルームなどがあって、ものづくりのイベントやワークショップを開催することができるんですよ。お年寄りから小さな幼児まで、世代に対応したワークショップなどは世田谷だけではなく、他の地域の方でも気軽に参加できるんですからね」」

●こだわりが、こだわりに拍車をかける

 とやっぱり、想像していた通りの学校の利用だ。そこには、オフィスビルやテナントビルとは違ったこだわりが満ち溢れている。すると、木下さんの作品にもこの学校の空気感が現れているように思えてならない。
成長していく子供たちの夢を応援したかっての校舎に射し込む光はどこまでも優しく、ガラス越しに見える緑の木々の揺れもいい。時の小鳥たちのさえずりも聞こえてきて、まさにクリエイティブ環境としては最高の贅沢だ。
そこで、伺ってみた。木下さんのものづくりへのこだわりを。

「そうですね。私はインテリア会社から独立して、特注家具を造る目的でこの学校に入居したのですが、二級建築士としての資格を生かして、家具や什器のデザイン制作を中心にインテリア空間やショップ空間に特化しているのがこだわりです。
特にショップ空間については店のオーナーが何をどう売りたいかを理解するのが出発点です。そして、その店にお客様がどんなものに興味を持つのか、どんなライフスタイルを望まれているのかを徹底的に追及してデザインコンセプトを固めています。デザインコンセプトが決まれば、空間の持つイメージの創生であり、細かなディテールで、素材選び、カラーリング、家具や什器のデザインへと移行していきます」

 なるほど、木下ワールドとも思えるこだわりが見て取れる。部屋を見渡すと、木下さんのそんな想いを集約したのだろう。独創的で個性的なインテリア家具が並んでいる。どれを手にしてみても、日常的な生活を"楽しんでください"というメッセージが込められているようで心が弾ける。その一部をWEBギャラリーとして、写真で紹介しておこう。

「デザインへのこだわりは、偉そうなことは言えませんが、自分で楽しみながら制作し、お客様にも楽しんでいただくということですね。作り手と使い手が一体となって初めて、いいデザインといえるんではないですか」

木下さんの想いがよくわかる。ともすれば、デザイナーの独りよがりになりがちな世界の警鐘として、あくまでもお客様があってのデザインと見たがどうだろう。特にショップデザインはこのことが最重要視されなければということなんだ。

●ものづくりは能力開発や生涯学習の一助にもなる

「ところで、私がこだわっていることがもう一つありますので、紹介させてください」といって、木下さんは次のようなことを言われたので、その言葉をそのまま掲載しておこう。

「私はものづくりに対しては、まず自分が楽しんでという所を出発点にしていますが、同時にお年寄りから小さな幼児に至るまで多くに人にものづくりを楽しんでもらいたいという想いが非常に強いのです。そのため、木工に関する体験教室やワークショップをに力を入れています。これらの写真はその模様です。子供たちが夢中になって、手や身体を動かしているんです」

 確かに子供たちの姿はいい。社会がどんなに進歩、発展しても、与えられたものをただやみくもに使うのではなく、自ら手を動かして日常生活をエンジョイしてくださいという木下さんならではの温かいメッセージが聞こえてきそうだ。

 そんな意味で、廃校の跡地再生事業は人間の能力開発や生涯学習といった面でも非常に意義があるので、嬉しくなった。

 帰りに再び、いくつもの教室を覗かせていただいたが、やっぱりうらやましい限りだ。快適な環境で伸び伸びと手足を動かしている。まさに世界に向かって、『世田谷ものづくり学校』からさまざまな情報が発信されているようだ。

 人それぞれにものづくりのスタイルは違うが、 "これはこちらも負けておられんぞ"という想いに自然と込み上げてくるのである。

文 : 坂口 利彦 氏

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