トップページ > 王国のコラム

王国のコラム

コラム一覧

こだわり人NEW[2017.07.28]

伝統的なものづくり精神を次世への架け橋に / 指物益田(東京・墨田区)

 いまから27年前、墨田区商工政策課産業経済課が出版した『すみだの産業を世界につなぐ―デザインガイド』という本に惹き付けられた。いまでも時々、ページをめくってみるが、地方自治体でデザインを区の活力源にしていこうというコンセプトが非常に新鮮に思えたのである。冒頭で、当時の奥山区長が"デザインがものづくり、まちづくり、人づくりに活気とうるおいを与えるので、デザイン振興に力を注いでいきたい"などと述べられているが、現在の墨田区の顔とも言うべき東京スカイツリーなどを見ると、まさにあの想いが開花し、次代へのエンジンここにありということかも知れない。

 そんなデザインに区の未来を夢みた墨田区の職員の方から、ちょっと気になるメールが送られてきた。“墨田区は東京の下町で、街を歩けばどこからともなくものづくりの音が聞こえてくる街だが、区の南の端の立川に区内唯一の江戸指物(さしもの)師からスタートして現在は、木工家具などの制作に携わる益田大祐さんという方がおられるから、話を聞かれたら”と。

 名前は伝統的な指物を作る若きホープということで、知っていた。年々、数少なくなっていく指物師の世界にあって、実用性、装飾性。毎日の生活に彩を添える指物に独特の世界観をお持ちなのだ。これはビッグチャンスだ。そのこだわりを目の当たりにしなければだ。

 ということで、今回は伝統的な指物という世界に止まらず、ものづくりの街、墨田区のDNAをしかと受け止めた益田大祐さんのこだわりに着目させていただいた。

こだわり人 ファイル062

伝統的なものづくり精神を次世への架け橋に

江戸風鈴本舗(東京・江戸川区)

●富士三十六景に描かれた本所立川

 戦後になって、家具業界も機械化が進み、洋家具が主流になってきた。それでも日本の伝統的な工芸品として受け継がれてきた指物を好む方は多いという。特に近年は若い世代の人が指物に魅せられて、マンションなどのモダンな世界に住んでいてもリビングや寝室に座卓や飾り棚などの指物を置く方も多いそうだ。

 嬉しいね。やっぱりこの気分は。弾む気持ちを車窓に映して都営新宿線で菊川へ。葛飾北斎の『富岳三十景』に描かれた堅川も往時の面影はまったくなくなってしまったが、益田さんの工房の前に立つと、早くも子供の頃によく耳にした木を削る鉋(かんな)の音だ。リズミカルな響きに、HPで拝見していた益田さんの穏やかな笑顔が重なってくる。

 そして、入口のガラス戸を開けると、もうそこは完全に益田ワールドだ。行儀のいい美しい木目に削りたてのやさしい木の香り。その周りには手入れの行き届いた鉋(かんな)や鋸(のこぎり)。すべてが益田さんのそばで居心地よさそうだ。まさにその姿、主を囲んで、"さあ、おいで"と、満を持しているようではないか。40才少々の若き指物師に多くの眼が注がれていることに、納得だ。

 指物師と言えば、ともすれば年期の入った労連の職人を思わせるが、まったくの思い違いだ。益田さんはその風貌からして木工家具の若き工業デザイナー、いや、インテリアアーティストという雰囲気をお持ちなのだ。

●伝統的な巧みの技を次世代につなぐ。

 すると益田さん、こちらの思いを察するように、こうだ。

「確かに私は、学生時代は工業デザインを専攻していましたので、そう見えるんですかね。私は高専を卒業して、最初は特注家具製造会社に就職しました。
 ところが、入った家具会社は機械が優先で、この形は機械では作れないからということで対応してもらえない。また、手のこんだものだと60才過ぎの職人さん頼みで、手工具の技術が失われつつありました。
 自分のデザインを表現することの難しさを抱える中、足を運んだ江戸指物組合の展示会で指物の技術に圧倒され、親方である江戸指物師の渡邊のもとを訪れました。初めて親方と話した時には給料の事や仕事をおぼえる事の大変さなどを説明され、「ちゃんと考えてからまた来なさい」と、出直すことになりました。
 すると、その数日後には仕事を辞め、親方の所に足を運んでいましたね。ただただ、江戸指物に一目惚れしてしまったのでしょう。伝統的なものを継いでいこうという意識はあまりなかったですね。ひたすら技術を身に着けたいの一心でした。
 そうした弟子時代の中で、技術と共に江戸文化や下町文化がしだいに身に付くようなり、30才の時に独立し、自分の工房を埼玉に構えました。そして2年後です。墨田区の先輩の職人さんが「墨田区には指物師がいないので来いよ」ということで、この立川で工房を立ち上げたのです」

 まさに、人に歴史ありだ。工業デザイナーを目指した後に指物師として腕を磨き、ここ立川に工房を構えてからは、2009年に『墨田区伝統工芸保存会』に入会、2011年に『すみだブランド』認証、2013年に職人グループ『もの語り』発足、2014年に『すみだマイスター』に認証されておられる。
そして、2015年にはあの歌舞伎の名門『中村芝翫丈襲名の楽屋鏡台』を制作されているし、2016年には『LEXUS NEW TAKUMI PROJECT』の東京の匠に選出されている。まさに、一途な江戸職人の心意気を永らえた御仁、ここにありということだろう。

●指物文化を生活文化につなげていきたい

「私は家業としてではなく外から弟子入りしたので、伝統工芸としての自分の仕事を意識したのは独立してからの事でした。まだまだわからない事ばかりですが、生活と文化のつながりを大切にしてもの作りをしていきたいと思います。生活スタイルが変化していく中で、ただ昔の物ばかりを作っていてはいけない。しかし、流行に流されてはいけない。 何をまもり、何を変えていくかが大切だと思います。重要なのは作品そのものではなく、それを作り出す職人の技術や考え方であると考えています」

 指物というと確かに、この国では日本の伝統的な木工品というイメージがあるが益田さんは、そこに止まらず、時代の新しい空気にも積極的にチャレンジしていこうとされているのだ。

 益田さんの工房には墨田区が認定する「小さな博物館」として隣接する「指物博物館」がある。電話での要予約制だが、小さいながらも作品はもちろん道具や資料等も展示されている。

 そこに貼られた指物の製造工程表が目に飛び込んできたので、どのように作られているのか、その流れを記した看板がかかっていたので、それをそのまま添付させていただこう。

表:指物の製造工程表
 1. 材料の木取り
しっかりと乾燥させた木材を選ぶ。製作に必要な量の板材の取り方を決定します。
 2. はぎあわせ
必要に応じて板と板を接着し、幅の広い板材にします。
 3. 削り
木取った板を正確な厚みで正しい寸法に鉋をかけて削ります。
 4. 仕口、接手
板と板を組み合わせ、その組み合わせ方を仕口といいます。さまざまな仕口や継手を必要な場所に施すことにより、堅牢で美しい指物が出来あがります。
 5. 彫り、くり
小刀やノミを使い、板に曲線を取り入れます。模様を入れた「透かし」、柱の脚の下から反らせる「テリ」、その他、框戸や引き出しに化粧する「ヒモ取り」「額上げ」など様々な技法があります。
 6. 組立
仮組立のことで、接着剤などを入れる前に、ホゾの硬さや水平・直角などを調整します。
 7. 仕上げ削り
いろいろな面取り・模様を施します。「銀杏面」「切り面」など様々な面取りがあります。
 8. 研磨
指物は塗装に漆を使うことが多く、その拭漆の仕上がりを最高にするためとても重要な作業です。鉋、木賊(とくさ)、椋(むく)の葉が順に使われます
 9. 塗り
拭漆などで塗装を施します。
10. 仕上げ
引手や蝶番等をつけて、引き出し、引き戸を微調整して完成させます。
●モノづくりの土壌が根をはっている

 取材して改めて痛感したのは、指物で作られる物は、多種多様にあることだ。

「ちゃぶ台・鏡台から茶道具・仏具など一度しか作った事のない物や、まだ作った事のない物もたくさんあります。また、 木で作れる物であれば何でも作る事ができます。まだまだ勉強ばかりの毎日です。
伝統的なものから現代の生活スタイルの中でも使いやすいものの提案など使う人に寄り添うものづくりをこれからも目指していきます。お客様に木のすばらしさ、伝統技術を伝えられる事ができれば幸いです。」

「最後に墨田区の産業の伝統は、小さなものづくり職人がお互いの技術を分け合い、連携しあい、厳しく評価しあって製品を作り上げて行く『ものづくりネットワークの集合』なのだと感じた。これからもその伝統を未来に繋げ、都市生活者を彩るさまざまな感性豊かな製品を生み出す力を身近にかんじてつけていきたい。そういう意味で、工房ネットワークといった存在が都市づくりの一翼を担っていくことを夢みてやまない」

文 : 坂口 利彦 氏

こだわり人[2017.06.19]

都内唯一、江戸風鈴への老舗のこだわり / 江戸風鈴本舗(東京・江戸川区)

 伝統の継承とか伝統の一戦とか、伝統という言葉についつい心が動く。綿々と生き永らえていく人間の生き様というのだろうか。過去から現代、そして未来に続く時の刻みに何か勝手なイメージが想い膨らんでくるのである。これから先も、その想いは変わることはないが、このほどデパートの高島屋から送られてきた『日本の伝統展』開催という案内がまたまた我が心を動かし、足を自然と会場に向かわせた。

 というのは、この展示会はもう38回というまさに伝統のある催しで、日本全国の伝統的な技術が目の当たりにできるからである。今回も57件の伝統の技が一堂に集結されたが、そこにはやっぱり“この道、一筋”という真摯な想いがあって、我が心をいやが上にも揺さぶり続けるのである。中でもその揺さぶりが大きかったのは江戸切子、江戸木彫、江戸べっ甲、江戸風鈴といった江戸という言葉を背負った伝統文化である。この目まぐるしく移り変わる東京という大都会にあって、江戸の伝統を永らえているなんて、やっぱり敬意を払わざるを得ないということである。

 今回のこだわり人は、その中で前々から気になっていた江戸風鈴の製造元、篠原風鈴本舗に着目させていただいた。現在、東京で風鈴を製造しているのはここ篠原風鈴本舗と親類筋の篠原まるよし風鈴だけだが、風鈴一筋に102年、そのこだわりぶりを紹介させていただこう。

こだわり人 ファイル061

都内唯一、江戸風鈴への老舗のこだわり

江戸風鈴本舗(東京・江戸川区)

●伝統の技にこだわる若い力

 高島屋日本橋の『日本の伝統展』はまさに現代の暮らしに生きる伝統技術へのこだわり、ここにありだ。多くの来場者の賑わいにこの国の底力を見たようで、嬉しくなった。しかも、その喜びに追い打ちをかけたのが篠原風鈴本舗の篠原由香利さんだ。ベテランの職人さんや技術者が多い中、何と36才の由香利さんが篠原風鈴本舗の創業者、篠原儀治さんの孫娘として江戸風鈴の製造に勤しんでおられるのだ。

 その由香利さんのことは江戸川区のHPなどでも紹介されているので前々から着目していたが、後日、作業現場での再開を約束して都営新宿線の瑞江駅にある自宅兼作業場に向かったのである。

 正直、その趣きのある佇まいに好奇心は全開だ。いただいた小紙によると、“風情、風雅風趣という言葉がある通り、世界広しといえども“風”の愛でる心を持つのは我々日本人だけでしょう。中でも、風を音に変えて、その風情を楽しむ風鈴は、まさに日本人ならではの楽しみにと言えるでしょう” と記されているが、まさに、風鈴のチリン、チリンという音色はどこか懐かしく、涼しげな気分にしてくれる。ある学者先生が“風鈴は江戸庶民が生んだエコ生活の典型ですよ”と言っておられたが、納得だ。

「江戸風鈴は中国から渡ってきた風鐸がルーツです。竹林に下げて風の向きを確認したり、音色で物事の善し悪しを占うために使われていたのです。その後、風鐸として日本に仏教と共に伝えられてきたのですが、いまでもお寺の四隅などにかかっているでしょう。魔よけとして使われてきたんです。ところが、それが江戸中期になるとガラスなどで作られるようになり、昭和になると一般庶民も軒下などに下げるようになったんです。
その時、祖父の父である又平がガラス風鈴を積極的に作るようになり、後を継いだ儀治がその風鈴を江戸風鈴と名付けたのです。ですから、江戸風鈴というのは私どものブランド名なんです」

左から、江戸風鈴創業の儀治さん、現在代表の恵美さん、孫娘の由香利さん。

●魅力は、アート感覚の工芸品

 なるほど、風鈴にも人間的な物語があるということだ。その後、由香利さんの父が儀治さんと江戸風鈴を作っていたのだが、その父が3年前に急死されたので、この火を消してはいけないということで、奥さんの恵美さんが代表に、孫の由香利さんが儀治さんの教えを乞い儀治さんの教えを乞い、江戸風鈴を作ってこられたのだ。

 江戸風鈴に歴史あり。いや人に歴史ありだ。「風鈴という小さな世界ですが、夏の風物詩として、永らえていきたいですね」と、由香利さんは江戸風鈴への想いは熱い。いつでも儀治さんの「日本の風情を感じる仕事に従事してきて本当によかった。風が音になって語りかけてくるんですから、その声を聞いただけで他の人にも聞いてもらいたくなるんですよ」の言葉が頭から離れないそうである。

「でも、単に伝統に終始しているだけではありません。流行やトレンドを常に考え、江戸風鈴の世界にも新しい風を吹き込みたい想いがありますからね」

 わかる気がする。江戸の職人さんたちも時代の波に流されることなく、若い感性で洒脱や粋と言われる世界を追いかけていたものだ。おそらく由香利さんもこれまでの常識を破る風鈴を数多く作っておられる。付け加えるならば、その風鈴が東京都の伝統的工芸品チャレンジ大賞に輝いていると言われるから、まさに若い力が江戸風鈴の世界に新しい風を吹き込んでいるということだろう。

 ところで、江戸風鈴は形と音と絵柄が重要なアイテムだそうだ。形は宙吹きで作り、絵付けを内側からするのが大きな特徴である。だから、作る人の手がすべてで、形も絵柄も同じものがないそうだ。

「型に入れて吹くと同じものが作れますが、江戸風鈴は宙吹きなので一個一個吹く人の感覚だけです。また、絵付けも一個一個内側からやりますので絵付けする人の個性が出ます。裏を返すと、この手づくり感が江戸風鈴の魅力なんです。ある面でアート感覚にとんだ工芸品なんですよ。昨今は外国製の風鈴が売られていますが、江戸風鈴と違って型吹きで絵付けも外側にプリント加工されているだけなので、少し趣きがないかなぁ。
私たちは日本の伝統を守っていきたいんです。また、音について言えば、取り口がギザギザであることが重要です。ギザギザがあの江戸風鈴独特の音色を出しているからです」

●昔も今も江戸風鈴へのこだわり、ここにあり

 では、そのような魅力一杯の江戸風鈴はどのように作られているのだろうか。その工程を紹介していただこう。

「簡単に紹介しますと、江戸風鈴はソーダガラスを使い、よく洗浄し、割いて窯の中で溶かします。溶けたガラスは二人一組で、一人は鳴り口と言われる小さい玉、もう一人が風鈴の本体になる大きな球を口で吹いて膨らませます。
大きな球ができると、次は絵付けです。江戸風鈴は先ほども言いましたように裏から塗ります。この時、作業効率を考え同じ絵柄のものをまとめて、1色ずつ塗っていきます。
大事なのは色の乾き具合と、裏から色を塗るので反転した状態で仕上げていくということです。特に文字については神経を使いますね。」

「余談ですが、江戸風鈴は赤を基調とするものが多いですね。と言いますのは、風鈴は音で魔除けという意味がありますので、魔除けとして使用されていた赤色を使ったものが多くなったんですね。また、野菜のカブと千両の小判が描かれたものがあります。カブは花札で、おいちょかぶで勝つというところから、勝負ごとに勝つという意味があったんですね。江戸職人の粋さですね」

 ところが、現代は見た目が涼しげな金魚や花火が人気だそうだ。暑苦しい赤よりも涼しげな絵柄が好まれる時代ということだろう。また、形について言えば従来は直径8cm、高さ7cmの小丸型と色数が豊富な特選小丸型が基本になっていたが、現在はさまざまなバリエーションのものが作られているそうだ。例えば、江戸切子とコラボした江戸風鈴や人気のキャラクターを描いたものが登場しているのである。

 そしてさらに、江戸川区では行政が江戸風鈴に力を入れて美術学校や企業との連携はもとより、産学公連携による江戸風鈴事業の推進などを積極的に進めているそうだ。

「ありがたいですね。江戸狂歌にこんなのがありますからね。“売り声もなくて 買い手の数あるは 音に知らるる 風鈴の徳”なんてね。伝統を守っていきたいですね」

●老舗というのは、常に先端を走ること

 一口に風鈴といっても、その存在に改めて教えられる。ある面では季節と共に生きる日本文化の一つの象徴だ。かっては風鈴と言えば、軒下に吊り下げてというのが多かったが、マンションなどの高層住宅によって軒下のない家が増えている。だが、風鈴生活を楽しみたいというニーズも高く、スタンドタイプの風鈴も誕生しているそうである。

 時代がどんどん進んでも、あの涼しげな音色に依然と引き寄せられるということだろう。江戸風鈴の生みの親の儀治さんは江戸風鈴のこれからについて、由香利さんに熱く語っておられるのでその言葉を最後に紹介しておこう。

「人間は生まれも育ちも十人十色、生活環境も十人十色。そのため音に対する感覚も人それぞれですから、風鈴も一個一個、音を変えていきたいですね。例えば、ドレミの音を作り、音階が出来るようにして、いくつか並べると、一つのメロデイーが流れるなんてね。
老舗というのは、常に先端を走っていなければダメですね。また、職人は好奇心の塊であってほしいですね」

 今年は、一味違う風鈴生活が楽しめそうだ。

《ワンポイント》
篠原儀治さんのプロフイ―ル
昭和57年
江戸川区無形文化財認定
昭和58年
江戸川区伝統工芸会・会長
昭和59年
NKE朝の連続テレビドラマ「ロマンス」でガラス工芸の指導
昭和60年
大東京祭功績賞を受賞
平成元年
東京都知事賞 優秀技能賞を受賞
平成4年
江戸川区産業賞(優良事業)を受賞
平成5年
国際芸術文化賞を受賞
平成9年
日本オーデイオ協会「音の匠」に認定
平成16年
東京都知事より名誉都民に認定 江戸川区文化賞を受賞
平成18年
文部科学大臣賞を受賞

文 : 坂口 利彦 氏

こだわり人[2017.05.22]

廃校で、モノづくりデザインに挑むこだわり /木下 悟 氏(東京・世田谷区)

 ものづくりへのこだわり人を巡ってあの街、この街。こだわり人の真摯な姿勢と粘り腰には教えられることばかりだ。この国の底力に揺るぎなし。生意気だが、これからも永らえていかれることだと思うと、ついつい“よし、よし”なんて笑顔がこぼれてくる。

 そんな折に、送られてきた世田谷区の『ものづくり学校』の小冊子。世田谷区の地域産業や商工業の支援事業として、2004年の3月から開校されていたことは知ってはいたが、冊子のページを繰ると、改めて覗き見したくなるというものだ。というのは、この学校は廃校になった中学校の校舎を再利用するという『廃校跡地再生プロジェクト』の一環で、デザインを通じて"学び、体験し、働く"というものづくり精神の高揚を目的とするというからである。在りし日の教室をそのまま使った空間にデザイン、建築、アート、ファッション、食などに従事するクリエーターたちが入居し(約40の企業や個人事業主)、この学校の基本コンセプトである『3Rする』を共有しながら、リサイクル、リユース、リセットを主眼にそれぞれのクリエイティブ活動をするなんて実に理に適っているではないか。

 聞けば、デザインを地域活性化に活かすというプロジェクトは全国各地の自治体で推進されているが、この『世田谷ものづくり学校』はもう10数年以上にもなる先輩格だ。よしここは、ここの入居者で、前々から気になっていたこだわりのインテリアデザイナー、木下 悟さんを訪ねよう、だ。

 ということで今回は、この学校で『Notcho's Workshop』の看板を掲げた木下 悟さんに着目させていただいた。

こだわり人 ファイル060

廃校で、モノづくりデザインに挑むこだわり

木下 悟 氏(東京・世田谷区)

●昔懐かしい校舎が職場に

 相変わらずの交通量が多く、喧騒とした首都高速3号線だ。東急田園都市線の三軒茶屋駅から少し渋谷よりの横道を入ると、何度も写真で見ていた『世田谷ものづくり学校』だ。先ほどまでの喧騒とした音が一気に消え、たちまちの内に昔懐かしき校舎が現れ、我が学生時代に引き戻してくれる。

 見ると、校舎入口の上部に横文字で『IKEJIRI INSTITUTE OF DESIGN』とあるから、あれあれだ。インスティテュートなんて研究所のことで、そんな雰囲気はまったくない。やっぱり親しみやすく学校の方があっている。すると、ボクはすっかり中学生気分で、廊下沿いの教室に飛び込みたくなっている。しかも、各教室の入り口脇にはそれぞれのクリエータの仕事ぶりなどが表示されているので、ついつい立ち止まって見入ってしまうというありさまだ。

 教室ナンバー117。ドアを開けると、穏やかで、少年の面影を随所に残した木下さんだ。目が明るく輝いている。おそらく学校というこの環境がなせるわざなんだろうなんて、勝手な想いを巡らしながら、やっぱり気になっていたここに入居した理由を最初に伺ってみた。

「ここを仕事場に選んだ理由ですか?やっぱり環境ですね。学校というあの独特の環境なんて、最高のロケーションですよ。いつも少年の気分で仕事ができるんですからね。また、テナントビルなど違ってドアを開けると、同じような志を持ったクリエータがいるんですよ。同級生気分ですよ」

 わかる気がする。そこに持ってきて、校舎の1階から3階にはギャラリーやショールームや美術館が並んでいるし、ミーティングルームやカフェまであるのだからうらやましい限りだ。廃校になった学校の跡地をこのような生命感あふれる空間にしたことに大拍手というものだ。

「ありがたいのは、多目的ルームなどがあって、ものづくりのイベントやワークショップを開催することができるんですよ。お年寄りから小さな幼児まで、世代に対応したワークショップなどは世田谷だけではなく、他の地域の方でも気軽に参加できるんですからね」」

●こだわりが、こだわりに拍車をかける

 とやっぱり、想像していた通りの学校の利用だ。そこには、オフィスビルやテナントビルとは違ったこだわりが満ち溢れている。すると、木下さんの作品にもこの学校の空気感が現れているように思えてならない。
成長していく子供たちの夢を応援したかっての校舎に射し込む光はどこまでも優しく、ガラス越しに見える緑の木々の揺れもいい。時の小鳥たちのさえずりも聞こえてきて、まさにクリエイティブ環境としては最高の贅沢だ。
そこで、伺ってみた。木下さんのものづくりへのこだわりを。

「そうですね。私はインテリア会社から独立して、特注家具を造る目的でこの学校に入居したのですが、二級建築士としての資格を生かして、家具や什器のデザイン制作を中心にインテリア空間やショップ空間に特化しているのがこだわりです。
特にショップ空間については店のオーナーが何をどう売りたいかを理解するのが出発点です。そして、その店にお客様がどんなものに興味を持つのか、どんなライフスタイルを望まれているのかを徹底的に追及してデザインコンセプトを固めています。デザインコンセプトが決まれば、空間の持つイメージの創生であり、細かなディテールで、素材選び、カラーリング、家具や什器のデザインへと移行していきます」

 なるほど、木下ワールドとも思えるこだわりが見て取れる。部屋を見渡すと、木下さんのそんな想いを集約したのだろう。独創的で個性的なインテリア家具が並んでいる。どれを手にしてみても、日常的な生活を"楽しんでください"というメッセージが込められているようで心が弾ける。その一部をWEBギャラリーとして、写真で紹介しておこう。

「デザインへのこだわりは、偉そうなことは言えませんが、自分で楽しみながら制作し、お客様にも楽しんでいただくということですね。作り手と使い手が一体となって初めて、いいデザインといえるんではないですか」

木下さんの想いがよくわかる。ともすれば、デザイナーの独りよがりになりがちな世界の警鐘として、あくまでもお客様があってのデザインと見たがどうだろう。特にショップデザインはこのことが最重要視されなければということなんだ。

●ものづくりは能力開発や生涯学習の一助にもなる

「ところで、私がこだわっていることがもう一つありますので、紹介させてください」といって、木下さんは次のようなことを言われたので、その言葉をそのまま掲載しておこう。

「私はものづくりに対しては、まず自分が楽しんでという所を出発点にしていますが、同時にお年寄りから小さな幼児に至るまで多くに人にものづくりを楽しんでもらいたいという想いが非常に強いのです。そのため、木工に関する体験教室やワークショップをに力を入れています。これらの写真はその模様です。子供たちが夢中になって、手や身体を動かしているんです」

 確かに子供たちの姿はいい。社会がどんなに進歩、発展しても、与えられたものをただやみくもに使うのではなく、自ら手を動かして日常生活をエンジョイしてくださいという木下さんならではの温かいメッセージが聞こえてきそうだ。

 そんな意味で、廃校の跡地再生事業は人間の能力開発や生涯学習といった面でも非常に意義があるので、嬉しくなった。

 帰りに再び、いくつもの教室を覗かせていただいたが、やっぱりうらやましい限りだ。快適な環境で伸び伸びと手足を動かしている。まさに世界に向かって、『世田谷ものづくり学校』からさまざまな情報が発信されているようだ。

 人それぞれにものづくりのスタイルは違うが、 "これはこちらも負けておられんぞ"という想いに自然と込み上げてくるのである。

文 : 坂口 利彦 氏

こだわり人[2017.04.11]

江戸伝統の木版画にこだわる、6代目 / 高橋工房 高橋由貴子氏(東京都・文京区)

 おかげ様で、こうして首都圏を中心とする『こだわり人』を紹介させていただいていると、“うちの街には、こんなこだわり人がいるよ”の連絡をよくいただく。拙い綴りで恥ずかしい限りだが、一つの志しを持って自分なりの想いを形にするこだわり人の姿に改めて教えられることばかりだ。

 そんな折に、文京区の方とあるプロジェクトを進めているときに、「先々月にこの項で、和紙のこだわり人を拝見しましたが、この区に木版画の版元として、江戸・安政の時代に創業された技術を今に伝える6代目の女性がおられる」の声をいただいた。その名は高橋由貴子さん。文京区の水道という街で木版画と向かい合っておられる高橋工房の代表である。

 名前だけは存じていた。だが、そんな謂れのある歴史を背負っておられる方だとは知らなかった。まさに、伝統の文化や歴史を携えた文化遺産の街という文京区にピッタリの方ではないか。そういえば、デジタル技術などの振興にも拘わらず木版画の魅力は綿々と受け継れている。先頃も墨田区の葛飾北斎の記念館がオープンして、木版画への関心が一段と高まっている。私自身、木版画は興味はあるが、その中身はいま一つわかっていないので、これは良い機会だ、勉強しようということである。

 ということで、今回は印刷や出版の街といわれる文京区の株式会社高橋工房の代表、高橋由貴子さんに着目させていただいた。

こだわり人 ファイル059

江戸伝統の木版画にこだわる、6代目

高橋工房 高橋由貴子氏 (東京都・文京区)

●魅せられる、江戸の町人文化の写し絵

 文京区水道という街は確かには印刷や出版関連の企業が多い街だ。通りを歩いていてもそれらしき社名表示の看板やサインが次々に目に飛び込んでくる。江戸時代は武家地や寺地が多い上に、すぐそばを神田用水が流れていたので独特の風情が醸し出していたそうだ。いま、区はここを住工共存市街地と呼んでいるが、そんな中で高橋さんは安政年間に創業された木版画摺師としての技術を受継いで1986年に6代目を継がれたのだ。以降、文化勲章を授与された著名な画家の作品などを再現することにこだわってこられたのだから、その真摯な胸の内を察するに余りある。

 現在は、浮世絵・日本画・洋画の伝統手摺木版画をはじめ、創作版画家の蔵書票や扇子や団扇などの工芸品の企画・制作、さらには美術印刷なども手掛けておられるが、その多彩な肩書にも木版画はもとより伝統的な和の文化に対する愛情が溢れ、そのこだわりには魅せられるばかりだ。東京伝統木版画工芸協同組合・理事長、浮世絵木版画彫摺技術保存協会・副理事長、文京区伝統工芸会役員などなど...を拝見すると、頭が下がるばかりだ。

「おかげさまで、いろんなことをやらせていただいていますが、やはり、すべての出発点は木版画ですね。伝統的な浮世絵から日本画、洋画、さらには現代的なアートに至るまで、木版画を愛される方が国内はもとより世界中におられるので、現在の職を全うすると共に、この技術を次の世代に受け渡していきたいですね、江戸という文化隆盛の時代が生んだ町民文化の最高の財産ですからね」

 確かにそうだ。これまで“江戸”という言葉の付く多くのこだわり人とお会いしてきたがたが、やっぱり一本筋が通っている。歴史の重みをしっかりと受け止めて次代に生きる若い人々にバトンタッチしていこうという想いがどんどん伝わってくる。となると、木版画の魅力を高橋さんの口から直接お聞きしたいではないか。本や冊子なども数多く読んできたが、ここはやっぱり生の声に勝るものはなしということだ。

●絵師、彫師、摺師のコラボレーションが生み出す総合芸術

「日本の木版画の出発点は1200年前だと言われています。仏教の興隆と共に、摺経や摺仏が拡がり、それが1670年代の江戸時代になって、菱川師宣が浮世絵を制作したのが木版画の本格的な幕明けです。
 この時、絵師、彫師、摺師という分業体制が生まれたのですが、それから100年後に鈴木春信によって色彩豊かな錦絵が開発されると、三者の技術や表現方法が一気に開花すると共に、その後の写楽などの登場によって江戸の末期には美人画や役者絵や名所絵が大ブームになり、江戸木版画は庶民娯楽の一つの形になっていったのです」

 なるほど、裏を返せば、江戸庶民が木版画を育てていったのだ。何か当時の様子が見えるようだ。木版画は絵師、彫師、摺師の三師とその三師を取りまとめる版元という体制が根づいていって、この構図が現在も維持されているのだ。高橋さんは先祖代々の摺師を受継ぎながら版元として木版画と綿々と向かい合っておられるのだから、またまた、その真摯な想いには魅せられるばかりだ。

 ところで、その3師の役割は現在風に言えば、コラボレーションの世界ではないか。それぞれがプロフエッナルとしての技量を極めると共に、それが統合化されたというのが木版画の世界なのだ。では、3師はそれぞれどんな役割を担っているのだろうか、もう少しお聞きした。

「絵師は文字通り絵を描く役割を担います。先に紹介した菱川師宣や鈴木春信、喜多川歌麿、東洲斎写楽、歌川広重、葛飾北斎といった方の世界です。まさに版画界のスーパースターという方々ですが、その力量を実際の形にしていくのが、彫師であり、摺師です。
まず、彫師は絵師の描いたものを版にする役割を担います。絵師の描いた絵柄をかいた輪郭線を反転して版画材に貼り付け、彫っていきます。そして、彫り終わると、絵師に色指定をしてもらい、その色数に即した色板を彫り、枚数を整えます。浮世絵の場合だと、だいたい5~6枚ぐらいです(色板はねばりつくような滑らかな油がある山桜を使う)。
摺師は、絵具を色板の上に乗せ、素早く刷毛で絵具を拡げます。そして、版木に付けられた二ヶ所の見当に合わせて紙を置き、バレンで力を込めて紙の繊維の中まで絵具を摺り込んでいきます。浮世絵版画はおおよそ10~30回ぐらいの色摺りで完成です」

 この手順は版を元にした現在のシルク印刷やオフセット印刷の原型ではないか。これによって一組の色板から何百枚もの大量の木版画が作られているのだ。現在のデジタル印刷などと違って人の手に人の手が加わって、一歩一歩着実に完成に向かっているのだ。私たちはそこに浮世絵版画ならではの温かみのある人間味を見ているのかもしれない。

 素材や技法、表現のすべてが独自性に富み、当時の世界最高の技法だったのだ。その後、ゴッホをはじめ多くの芸術家に影響を与えていったというのだから、木版画の魅力に改めて納得だ。

「人気の歌舞伎役者を描いた役者絵、山河や街並みなど名所を描いた名所絵、評判の麗人や遊女を描いた美人画を江戸庶民は、競って買い求めたというのだから、木版画への想いは想像して余りありますね」

伝統的な浮世絵、名所絵などが、温かみのある木版画として魅力的に表現されている。
左上:歌川広重《日本橋 朝之景(東海道五十三次)》、左下:葛飾北斎《凱風快晴(富嶽三十六景)》、
右:歌川広重《亀戸天神境内(名所江戸百景)》

●版画の魅力を次世代の人々に伝えたい

 木版画を語る高橋さんの想いはとにもかくにも熱い。6代目としての使命感がこちらにどんどん伝わってくる。すると、木版画に対する見方がまた一つ変わった私を包むように小学校時代の図工の時間が何度も何度も蘇ってくるのである。彫刻刀を持って、ハガキ大のゴム版やベニヤ板に花や動物を彫って、楽しんでいた。年賀状などは毎年、その年の干支を彫って、ちょっと誇らしげに友達などに送ったものである。

 ところが現在は図工の時間が少なくなり、かってのように彫刻刀を持って細かい技法までやるということはなくなったそうだ。中には危ないので彫刻刀や鉛筆削りのナイフを持たせないでという親もいるというから、アレアレだ。正直、情けない話ではないか。

「そうですね。版画の楽しさを手軽に味わってほしいですね。例えば、一色多色刷り木版画があります。版板に下書きをし、輪郭線のみを彫刻刀で彫り、彫り残した部分に色の水彩絵具を載せて刷り上げる手法です。黒い紙を使えば、ステンドグラスのような仕上がりできる手軽さですから、大いにやってほしいですね」

 そういえば、瀟洒なショッピングセンターやモダンなホテル、さらに訪ねたお宅の玄関などに木版画の絵などが掛かっていると、何かほっとするものがある。東京オリンピック・パラリンピックを控えて街にはさまざまな槌音が響き渡っているが、木版画などの和の文化を世界に向かってどんどん発信してもらいたいものだ。今や木版画の世界は絵画やアートということに止まらず、毎日の暮しに彩を与えるインテリア財であり、歴史を学ぶ教育財であり、想像力を高めるクリエイテイブ財である。いやいや、人と人を結ぶコミュニケーション財といった実に多目的な役割を担っているというではないか。

「この工房でも、また、学校でも若い人たちに木版画の魅力を伝えていますが、その歴史を受け継いでいってほしいですね、江戸の木版画は現代の新聞や雑誌など情報メデイアの原点ですからね」

工房内の様子 掛け軸(写真左) 高橋工房謹製「開運招福御札」と「災難除守御札」(写真右)

 印刷や出版関連の企業が多い街で江戸ゆかりの木版画を今に受け継いでという高橋さんのこだわりは嬉しいね。時代はどんどん先へ行くが、やっぱりこのような江戸の宝を永らえてほしいものだ。

 帰りに江戸の名残を残す神楽坂に出て本屋に飛び込んで『江戸』がらみの本を手にしてみた。すると凄い数の本が並んでいたが(『江戸生活事典』『江戸おしゃれ風俗』『江戸のエコ生活』『江戸東京切り絵図散歩』『江戸時代の流行と美意識』『江戸時代新聞』『江戸町人生活』『江戸の盛り場』『江戸庶民のくらし』『江戸職業図鑑』『江戸の遊び事典』など)、押しなべて木版画を表紙や扉に載せていた。やはり、江戸は木版画で語られるのだ。いいね!

 心が弾んだ。

文 : 坂口 利彦 氏

こだわり人[2017.02.28]

夢は力、時代を創っていく / 杉野ゴム化学工業所の杉野行雄氏(東京・葛飾区)

 2017年、従来的な枠組みが1枚のカードによって、次々にめくり取られていく。トランプ旋風はいかに。ある面では日本が大幅に塗りかえられるのではないかと一喜一憂だ。すると、ある著名な経済学者がそんな状況に警鐘を鳴らし、“従来的な大企業というところに、おんぶに抱っこではなく、中小や中堅という企業や団体、もっと言えば個人のモチベーションや技術力にもっと目を向けなければならない”と檄を飛ばしていた。

 そんな折に、またまた葛飾区の方が、“西に東大阪市の『まいど1号』があり、東に大田区の『ボブスレー』ありと言われるが、葛飾区の無人深海探査機『江戸っ子1号』を忘れていませんか。ある面では東京の町工場のこだわりを象徴する事業だよ”というメッセージを送ってくださった。確かにボクもテレビや雑誌で、大阪が宇宙なら東京は深海をめざすというこの『江戸っ子1号』のことを知ってはいたが、そのプロダクトリーダーの杉野行雄さんが気になっていた。というのは、杉野さんは葛飾区でゴム製品の開発・製造メーカーである杉野ゴム化学工業所の社長だが、その社長がなぜ深海に、しかもゴムについては専門の学者先生以上の博識者と言われる方だからである。かってTBSの「がっちりマンデー」(毎週日曜日)にも出演されているのを拝見したことがあるが、森永卓郎経済アナリストや勝間和代経済評論家もゴムへの情熱、そして行動力には舌を巻いていたものである。

 ということで今回は、葛飾区の町工場の重鎮と言われる杉野行雄さんのこだわりに着目させていただいた。

こだわり人 ファイル058

夢は力、時代を創っていく

杉野ゴム化学工業所 杉野行雄氏 (東京・葛飾区)

●親子二代、ゴムの開発と製造にこだわって

 京成線『お花茶屋駅』から徒歩で3分、町名も『白鳥』というから何かロマンがあって、心が和らぐ。化学工業所というから大型の車が行き交い、音があり喧騒としたイメージを抱いていたが見当はずれだ。先の名を映したような穏やかな住宅地にあるちょっと昔懐かしい佇まいだ。この地で昨年、創業60年を迎えたというから、さまざまな想像力が掻きたてられる。区のHPによると、葛飾区にはかって500社近くのゴムメーカーがあったが、現在では200社ぐらいに激減していると記されているから、杉野さんのゴムへのこだわりが見て取れるというものだ。

 案内された2階の作業場にもやはり懐かしさが漂っている。雑然としているが、ついつい手にしたくなるゴム製品が次から次へと目に飛び込んでくる。そんな中で見る杉野さんはやはりここが一番心地いいのだろう、この作業場によく似合う。1956年に父の健治さんが立ち上げられた工業用ゴム製品の開発・製造メーカーの2代目社長として、真正面からゴムと向かい合ってこられたのだ。

「戦前、父はゴム商社に勤め、英語やドイツ語に堪能だったので海外の資料を翻訳しながら、ゴムに関する知識を深めていました。その後、ドイツのバイエル社の日本総代理店の技師長になったのですが、戦中には兵器開発にも協力することになり、戦後は戦犯ということですよ。そのため、長く軟禁状態が続いたのですが、1956年にそれが解けたので、現在のこの地でゴム製品の開発と製造を始めたんです。おかげさまで、父の持つ高い技術力を知る同業者やメーカーからゴム部品や製品の開発依頼が次から次へと飛び込んできましたね。すると、私も当然ごとく父の元でということです。大学を卒業すると父と二人三脚、従業員も30名近くいて、着実にゴム需要に応えていきましたね」

 そんなある日、その勢いに追い打ちをかけるような案件、電線ケーブルや配線部をカバーする高電圧に耐えるゴム製品の開発依頼というプロジェクトが飛び込んできたそうである。

「依頼されたのは世界的な化学、電気素材メーカーであるアメリカの3M社です。『耐電圧ゴム』については素材を見直し、密度を高めればできるというアイデアを持っていましたので自信がありましたね。おかげさまで、その開発に成功し、以来、大手はもとより中小に至るまで、“ゴムのことなら、杉野に行け”という声をいただくようになりましたよ」

●時代の波を追い風に、ゴムの総合デパート的な役割をはたす

 何か当時の様子が目に浮かぶ。時代は家電、車、住宅などがどんどん伸長していった時代だ。勢い、ゴム製品の需要もどんどん高まっていったことは想像して余りある。この時の『耐電圧ゴム』は今でも多くの場所で採用されているというから、その高い技術力は特筆すべきものがあったに違いない。

 その後も勢いは止まらず、産業機械や建設機械の振動防止に使われるゴムを国内で最初に開発されている。以降、業務用としては産業機械、建設機械、自動車、家電、家具、住宅などに使う『防振ゴム』『防振マット』『防振パット』『ストッパーゴム』『ボルト足ゴム』を、また電気部品用としては『電気コネクター』『ベローズ』『ピストンゴム』『水膨張ゴム」『ガスケット』『脱手羽ゴム』などを次々に世に送り出されている。まさにゴムの総合デパートともいうべきで、現在はゴム材料の配合設計、混練加工、金属などとのインサート焼付・接着を中心に試作品や金型設計、成型などを主体にされている。

電気コネクター
電気コネクター
絶縁性の高いゴムを使用した電気コネクター。優れた耐久性で、建築・土木機械などで使用される。
ベローズ
ベローズ
蛇腹(ジャバラ)、ブーツとも呼ばれ、使用される目的・用途に合わせ、最適な材質・形状・サイズにて設計。
水膨張ゴム
水膨張ゴム
水を吸収すると膨張する、特殊なゴム。 防水用のパッキンとして使用される。
脱毛羽ゴム
脱毛羽ゴム
鳥の羽を取り除く機械に使用される。

 その間、杉野さんは30歳の時に父の健治さんが亡くなられたので2代目の社長に就かれたが、当時のことを次のように語られる。

「父はゴム博士と言われるぐらい高名だっただけに私はずいぶん若造扱いされましたよ。早く知識と技術を身に着けようと、その後の3年は勉強の明け暮れで、材料メーカーの製品発表会などに出掛けて強引にサンプルをもらって分析したりしていました。だが、発表データなどに間違いがあると指摘したり、発表会場でしつこく質問したりするので煙たがられもしましたね。半面、面白いとかわいがってくださるメーカーの方もおられたので、ゴムに関する知識が着実に身についていきましたよ。まだまだ父にはおよびませんがね」

 と明るい。

●“ものづくり”に込めた杉野さんの熱い想い。

 その後は、バブル経済の崩壊や国内のゴム工場の海外移転などで、製造事業は大きな打撃を受け縮小せざるを得なくなってきたが、開発事業はほとんど影響を受けなかったそうである。

「技術顧問として海外工場の生産ラインの指導をしてほしいというような依頼が増えましたね。日本の技術を海外へという夢がありましたので誠心誠意つくしました。日本から“ものづくり”の技術が海外に移転して行くのは悲しいことですが、その技術は海外のどこの国にも負けないものがあると自負していましたので、日本のモノづくり精神を見せてやれということですよ」

 当時の杉野さんの熱い想いがやはり見えるようだ。いまもその想いが顔に現れているが、そんな想いに拍車をかけたのが自分の会社だけにとどまらず、他のゴム会社や他の業種と提携して協働で“ものづくり”をしていこうというプロジェクトの発足である。いまも続いているが、2002年に立ち上げられた『技術伝承勉強会』である。

「ゴム業界は伝統的に"技術は門外不出"の気風が強く、同業者間の交流が少なかったんです。だが、これでは時代から取り残されていくということですよ。立ち上げ時は6社でしたが、現在は葛飾区以外の地域の方も参加して30社を越えていますから嬉しいですね。志は皆同じですよ」

 すると、勉強会の成果は次々に現れ、2004年には協同開発商品として、ゴム製の家具転倒防止グッズ『地震耐蔵(じしんたえぞう)』や地震の被災地の避難所などで間仕切りが簡単にできるゴム製品『UFO』など、その名も印象的な製品を生み出されたのである。

「一般の方にも関心を持ってもらいたいので、商品名にも工夫しました。おかげさまで、マスコミ等で取り上げていただいて、いまもそのユニークな発想と実用性が喜ばれています。UFOなんて面白いでしょ、このような名にしたのはその形がお椀を逆さまにしたような形で未確認飛行物体を思わせるからです」

地震耐蔵(じしんたえぞう)

 確かに面白い形をしたUFOだ。実際に眼の前で使い方を見せていただいたが、お椀の上部に十字の溝が切られているので、そこに段ボールやベニヤ板を簡単に挟むことができるので、子供たちでもちまちのうちに間仕切りができるのだ。東日本大震災の際にはこれを持って仙台の小学校に飛び、無償で子供たちと一緒に体育館に間仕切りを作ったそうだ。

参考:http://www.kaei.net/kaeiHP%20bousai.htm

「その後、その子供たちから感謝の歌のプレゼントがあり、感謝の文集をいただいた時には泣きましたね。“ものづくり”をしていて本当によかったと。宝物ですよ」

 その後、2004年には環境にやさしいコンセプトを掲げた天然ゴムを材料とする『けすぞう君』、さらに2009年には子供たちが間違って口に入れても安全なシリコンを使ったゴム粘土『ラバー君』などを市場に送り出されている。そういえば、私も渋谷の東急ハンズで見たが、子供たちが『ラバー君』を使って人形などを作って明るい声を上げていた。

●ゴムに命を与える夢は尽きることがない

 現在、杉野さんは葛飾区から優良技能士(2004年)、東京都から東京都優秀技能者‹東京マイスター›(2007年)などの認定を受けておられるが、このような多様な用途に使われるゴムの話を伺っていると、改めてゴムに対する豊かな知識と経験に教えられる。だが、こちらはゴムと言えば、ゴムの木(ラテックス)で作られる天然ゴムと、石油などで人工的に作られる合成ゴムぐらいしか知らない。この際だ。ゴムの製造方法だけでも知っておきたいということでお聞きしたので、簡単な流れを紹介しておこう。

 ゴム製品は基本的に、

ゴム材料の裁断 → ニーダー(混練機)による材料と薬品の混合せ → オープンロールによる本格的な混練 → 
成形機による成型および加硫

 という工程を辿る。このうちもっとも熟練を要するのがオープンロールによる混練作業である。しかも、この作業は職人さんの五感がすべてだそうだ。昔の職人はそれを、口で噛んで材料の硬さなどを確かめていたのだから、たかがゴムでない、されどゴムだったのだろう。

 正直言って、言葉だけではイメージがわからないので、日を変えて、実際の現場を見せてくださいと約束したが、杉野さんたちはこのようなプロセスを得て、ゴムに多彩な生命を与えられていることに、改めて感動だ。杉野さんにとってはゴム一筋の人生なんだろう。そんなゴムにこだわる杉野さんがなぜ無人海底探査機『江戸っ子1号』にこだわられたのだろうか。もうテレビや雑誌などで散々紹介されているが、やはりここは生の声をお聞きしておきたいというものだ。

●一人一人の力が一つになって、明日を描いていく

「少し長くなりますが紹介させてください

 2009年です。葛飾区の工業界を元気にしたい、若い人にも注目してもらえるような夢のあることができないかと考えているときに、人工衛星『まいど1号』のことを知って、“よし、こちらは深海で”ということですよ。異業種の方などとも連携して始めたのですが、当初はまったく反応がなかったのですが東京東信用金庫の賛同によって東京海洋大学、芝浦工業大学、さらには海洋開発研究機構‹JAMSTEC›との連携体制ができ、最終的には8社が参加するプロジェクトチームが誕生しました。

 だが、設計した探査機はボディーにチタンを使うので高額な費用がかかるということで、参加企業は腰を引いていきました。でも私は開発したい一心で東奔西走していたのですが、ある時、JAMSTECの方から市販の耐圧ガラス球なら8000メートルの水圧に耐えられることを教えられたのです。あの海洋開発研究機構がやっている『しんかい6500』でも6500メートルですよ。しかもあちらは建造費に130億円もかかっているのに、こちらはその1000分の1ですよ。よしこれは徹底的にやろうということですよ。新たな協力者なども加わり8000メートルの水圧に耐えられるガラス球に3Dカメラやライトをセットし、プロジェクト発足から3年、ついに銚子沖の深海での潜水テストに成功したんです。

 現在は、世界の最深海と言われるフィリピン沖の海溝チャレンジャー海淵11000メートルをめざしています。海の底にある水産資源、鉱物資源、エネルギー資源などを有効に使う夢を見てね」

安部総理も注目される『江戸っ子1号』プロジェクトの耐圧ガラス球

 何だろう、今回の取材後感は。男のロマンだね。問題意識を持ち、未来に挑む。御ん年67才。まだまだやりたいことが山積みだと言われる。口元は優しさが、身体の中はとてつもなく熱い血潮がみなぎっているのだろう。夢はさらに続いていくと見た。

 それにしても、『まいど1号』とか『江戸っ子1号』とかいいね、この国のものづくり精神は凄いや。

文 : 坂口 利彦 氏

【ワンポイント】スガツネ安心・安全金具シリーズ

 地震国、日本。やはり、地震などの対策として住まいやオフイスにおける家具などの転倒防止は最重要課題ですね。スガツネ工業の万が一に備える『安心・安全金物』はいかがでしょうか。取り扱いやすく、機能的な製品ラインアップにご注目ください。

安全金具シリーズはこちらから

 安全に使っていただけるよう、外側をすべてシリコーンゴムで覆った幼稚園や保育園にぴったりのフックのシリーズも展開しております。あわせて是非ご覧ください。

ゴムレンジャーシリーズはこちらから

こだわり人[2017.01.18]

日本の伝統的な和紙と書道へのこだわり / 『紙匠 雅』店主・吉田徳雄氏 (立川市)

 新しい年の始まりに何を思う。めくるめく続く進化、発展する時代にあって、正月の初詣で、初日の出、お屠蘇(とそ)、おせち料理等々のあれや剥剥これやはやっぱりいいものだ。日本の伝統的な文化、ここにありということだ。“よし、今年は頑張るぞ”なんて、ついつい心に鉢巻をしてと、いい感じだ。1年365日、人それぞれの新しい年が始まっていく。

立川駅近くで店を構える『紙匠 雅』

 2017年最初のこだわり人は、そんな日本の伝統的な文化の一つである新年の書初めを鑑み、書の世界に着目させていただいた。というのは、文字を手で書いたりすることが少なくなってきたデジタル時代にあって、書道や和紙への想いが講じて和紙と書道用品専門店『紙匠 雅(かみしょう みやび)』という店を開業。日本の伝統的な文化を永らえたいと言われる御仁がおられるのである。紙匠という店名してから、その想いが見て取れるではないか。そういえば、この店は産地直結の和紙を所狭しと並べた店内をはじめ、高尾山などの頂上で書道を楽しむ『山頂書道』、さらには和紙の魅力を身近に伝えるため『紙漉き和紙体験会』を店頭で定期的に行っていることなどで、テレビや新聞でしばしば報じられている。

 思えば、昨年の11月には、日本の紙漉き和紙技術が国際教育科学文化ユネスコの無形文化遺産に認定されたではないか(『石州半紙せきしゅうばんし)』〈島根県浜田市〉、『本美濃紙(ほんみのし)』〈岐阜県美濃市〉、『細川紙(ほそかわし)』〈埼玉県小川町、東秩父村〉)。もちろんこの店の店内にもそれらは並んでいるに違いない。

ということで今回は、JR中央線の立川駅近くで店を構える『紙匠 雅』の店主、吉田徳雄さんに着目させていただいた。

こだわり人 ファイル057

日本の伝統的な和紙と書道へのこだわり

『紙匠 雅』店主・吉田徳雄氏 (立川市)

●紙漉き人と触れ合い、“顔の見える和紙”店ををめざす

 JR中央線立川駅。都心に近いベッドタウンとして、また東京三多摩地区の中心地として、さらには町全体が美術館というアートの街として独特の存在感を示す立川市の玄関口だ。特に立川駅前の開発、整備は目覚しく、商業施設やオフィスビルが立ち並び元気な声が飛びかっている。『紙匠 雅』はその駅の南口から徒歩で約5分、親しみやすい居酒屋などが集まる一角にある。店頭に立つと正面看板に屋号、そしてその下に配された和紙のサンプルや『山頂書道』の記念写真などが次から次への目に飛び込んでくる。そして、引き込まれるように店内に入ると、もうそこは和紙の小さなテーマパークの趣だ。書道、絵画、ノート、名刺、便箋、包装、障子紙、工芸、インテリア、家屋等々に使う大小さまざまな和紙と、筆や文鎮などの書道用品が壁面に、天井に、展示台に吊られたり、並べられている。

 そこで、居合わせたお客さんが、あれやこれやと手触りを確認しながら買っているのだから、和紙に対するボクの意識は変わっていくばかりだ、すると、吉田さんはそんなボクを見て、こうだ。

「ここには現在、品種にして300種を越えるものがあります。それに、色柄違い、寸法違いなどがありますので、全体の枚数とても数えきれません。私の想いはただ一つ、和紙は日常性があるので、大いに使ってくださいということだけですよ」

 と明るい。
そして、天井から下がった和紙の間から見える写真を指差し言われたのである。

「あれはこの店で仕入れている和紙産地の紙漉き人たちのメッセージです。例のユネスコの無形文化遺産に選ばれた方も紹介しています。」

 なるほど、和紙へのこだわりが見て取れる。吉田さんはポリシーとして和紙の産地を巡り、紙漉き人と対話して仕入れるという“顔の見える和紙”を貫いてきたことをHPでも紹介されていた。「いまは車の運転を控えているので直接出掛けることはなくなりましたが」と言われたが、元気一杯だ。

●趣味の書道から開業した『紙匠 雅』から、和紙の魅力を伝えたい

 これまで見たこともない個性的な和紙の店。やはり、この店を開業する動機をお聞きしたいではないか。

「この店がオープンしたのは今から17年前です。趣味が書道だったので、書道の勉強がしたくて書道の専門店に入社し、営業や店舗業務を担当していたのですが17年前に、ひょんなことから、ここ立川で『紙匠 雅』を開業することになったのです。和紙については素人でしたが、その魅力を営業しながら覚えましたね。その間に心掛けたのは全国にある和紙の産地を訪問し、紙漉き人と直接触れ合って、“顔の見える和紙”を提供するということですね」

 好きな書道から始まって和紙などを取り扱う専門店へ。吉田さんのこだわりは察して余りある。そこで、吉田さんからお聞きした和紙の魅力について少々紹介しておこう。

 和紙は基本的に楮(こうぞ)という植物を原料に手漉きで作られるが、洋紙と比べて繊維が長いために薄くとも強靭で寿命が長く、保存性もある。また、あの独特の手触りもある。洋紙はパルプから作られるが和紙は原料が限られ生産性も低い。それだけに価格は高いが、価値があるということだそうだ。だから文化財などの修復や長期に渡る保存物を取り扱う職人さんたちは、和紙しか使わないというから納得だ。

●紙漉き和紙の伝道者『田村 正』師匠を招いた店頭の『紙漉き教室』を開催

 伝統的な製法による和紙は原料の枯渇や職人さんの高齢化で、決して先行きは楽観できないものがあるそうだ。吉田さんもそのことに危惧を感じておられるようだが、「紙漉き人が思いを込めて作った和紙だ。それをできるだけ多くの人に届けてあげたいではないですか」が吉田さんの思いだ。先ほど言われた"顔の見える和紙"というような形で、和紙の存続を強く念じられているのもわかるというものだ。

 すると、ボクは和紙がどのように作られるのかを今一度、頭に入れておきたかったので、その旨を話すと吉田さんは、産地によっていろんな技法がありますと言われたので基本的な流れだけを『全国手すき和紙連合会』などの資料から紹介しておこう。

1 表皮取り
原料の(こうぞ)の枝を蒸して皮を剥ぐ。
2 煮る
剥ぎ取った内皮をやわらかくするために煮る。
3 チリより
煮あがったものを水に浸して内皮のゴミを取る。
4 叩解(こうかい)
ゴミを取った内皮を叩いて細かい繊維にする。
5 トロロアオイ
4でできた繊維にオクラに似た『トロロアオイ』の溶液と混ぜ合わせる。
6 紙漉き
5でできたものを『隙舟』という水槽に入れ、竹ひごと絹糸でできた『すきす』で掬い取る。
7 紙床(しと)
6でできた紙を重ね合わせて水分を絞り出す。
8 乾燥
重ね合わせて脱水した紙を板に張り、天日で乾燥させる。
  1. 1 表皮取り

    1 表皮取り

  2. 2 煮る

    2 煮る

  3. 3 チリより

    3 チリより

  4. 4 叩解(こうかい)

    4 叩解(こうかい)

  5. 6 紙漉き

    6 紙漉き

画像元:手漉き和紙 たにの(埼玉県ときがわ町の工房)

 これまでにもこのような現場を何度か拝見したが、時間と根気のいることは想像して余りある。しかも、その土地ごとの風土といったものがある。聞けば、“マニュアルなどでOKというものではなく、人から人へと伝えていくものだ。目で、手で、身体で、その仕上げを覚えるしかない”とはよく言われるところだ。紙の厚さなどは『すきす』に乗った紙料の色や手に持った時の重さで決まる、まさにその人の感覚がすべてだそうだ。

そんなことを思えば、店頭で原料作りから紙漉きまでを体験し、和紙をより身近に知ってもらう『紙漉き教室』を行う吉田さんに大拍手を送りたいではないか。それも講師に紙漉きの技術を国内外に伝える第一人者である田村 正氏を招いて行っているのだから、吉田さんの和紙への想いに脱帽だ。日本の伝統文化の一つである和紙文化を永らえ、産地と消費者を結ぶパイプ役として意気軒高であってほしいではないか。

●願いは、“書くことをもっと自由に楽しんでほしいんです”

 ところで、吉田さんの書道への想いも気になるではないか。趣味が講じてこの店の開業につながったと言われるからである。

「そうですか。一言で言って、私はもっと気軽に文字を書いて、楽しんでほしいということだけですよ。スマートフォンやパソコンでいつでもどこでも自分の想いを書いたり、情報のやり取りをするように書道もそんな気分でやればいいんですよ。そうすれば、生活の美化とか心の豊かさにつながっていくと思っているんですよ」

 吉田さんの想いがよくわかる。確かにそんな自由な世界があっていいんだ。肩ひじ張らず、自由に。もっと言えば、プレイ感覚であってもいいんだ。だから、家庭や学校を飛び出し、富士山が見える山々の頂上などで行う『山頂書道』に多くの参加者があるということなんだ。

「『山頂書道』は店の休みの日に、不定期ですが昼間に行っています。また、これとは別に夜間ですが、夜の高尾山に登って夜景を楽しみながらグループで書を楽しむ『高尾ナイト&暗闇書道』というのを行っています。ライトを消した暗闇、月明かりぐらいで書をやるのですから、集中力も高まり、心が研ぎ澄まされる。夜間の登山ということでスリル感もあるし、足腰の鍛錬にもなるということで、テレビや新聞でもよく取り上げていただいています。
『山頂書道』も『高尾ナイト&暗闇書道』も私自身の趣味もあって参加費などはいただいていません。体験した感想などを人に伝えてもらうことが条件かな。天気がいい日などは最高ですよ、富士山が見えたりして。しかも、描くのも墨だけでなく彩液を使って色文字などを書くというのもいいものです。書道を難しく考えないで自由に自分なりに楽しめばいいんですよ」

 山頂での様子を記した写真が店頭に掲示されているが、みんないい笑顔だ。その風景に魅せられてカメラでフイルムに収めたり、絵具で写生をしたりするのと同じようにその時の想いを筆で描き留めるということなんだろう。しかも、「その用紙が和紙だと書いたものに奥行きが出て、長く置いておこうと思いますから」とは嬉しいね。別に山に登らなくても近所の公園だって、街角だっていい。書く楽しみをもっと日常化していこうということが吉田さんの想いなのである。

●書から生まれる、人の心の中にあるわくわく感

 書く、描く、作る、飾る、貼る、包むなど多彩な用途のある和紙へのこだわり。また、人それぞれの心の写し絵ともいわれる書道へのこだわり。店を出る時に再びカメラを野外の看板に受けたが、「紙匠 雅」という屋号に魅せられた。時間に追われてアクセスすることなく、書でも書いてゆっくりとした時間を持って生きていきなさいよと教えられているようなのだ。そういえば吉田さんは、お会いした時に作務衣を着ておられたが、まさに日本の伝統的な文化継承の修行僧に思えてきた。これからもその想いは変わることはないだろう。

 商店街の明かりが一段と明るくなってきた中を駅に向かっていると、かって読んだ日本書道芸術院という組織のコメントが浮かび上がってきた。

 “書は人の心を長閑にし、豊かにするものだ。心地よい緊張感を持ちながら真っ白い紙に表現することは、大人はもちろん子供にも豊かな情操と感性を育てるのに最適だ”まさに書道の真髄なのだろう。

 吉田さんはその真髄をもっと自由にやりなさい。そうすれば心もわくわく豊かな気分になってきますよということなんだろう。よし、今日はボクも遅まきながら、書初めだ。

文 : 坂口 利彦 氏

コラム一覧